おばんです。
kirigirisuです。
さてさて、汽車の歌詞の話、またまたです。
しつこいです。すみません。
なんだか、ここんとこ、昭和歌謡曲と鉄道の話ばかりになってるなぁ。
異界話も鉄道がらみだったし。
鉄道なんて、マニアでもなんでもなく素人なのに、どういうわけか。
まぁ、いいか。
よろしかったら、またまた、お付き合いください。
というわけで今回は、
歌謡曲という言葉が生きてた時代、昭和の名曲
ちあきなおみ 喝采
1972年。わぉ~、すでに50年前の話なのか…。
いつものように幕が開き
恋の歌うたう私に
届いた報せは黒い縁取りがありました
①
あれは3年前 止めるあなた駅に残し
動き始めた汽車にひとり飛び乗った
ひなびた街の昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた
蔦がからまる白い壁
細いかげ長く落として
ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた
②
暗い待合室 話す人もない私の
耳に私の歌が通り過ぎていく
いつものように幕が開く
降り注ぐライトのその中
それでも私は 今日も恋の歌うたってる
すごい歌詞だと思う。
情景の描写のみでできてる。
そこに至る理由はまったく語られない。
⇣
なぜ、彼の元を去ったのか。
なぜ、彼は亡くなってしまったのか。
作詞者としては、理由はちょっとコッチに置いておいて
シーンから感じ取ってもらうだけでいいよ。
ってな感じなんだろうな。
喝采。
今回、じっくりと聴いてみた。そう何回も。
でさ、
オイラは、この音楽に静寂を感じてしまう。
賛美歌やケルト音楽に近いモノを感じてるんだと思う。
もちろん、動きがある部分もあるんだけど
でも、オイラにはそれさえも静寂に聴こえる。
(これは、オイラだけの感覚かもしれないな)
歌詞の赤い部分が動の部分。
この部分が、サビ…なのかな。
まるで映画みたいだ。
①駅のシーン。
彼の言葉。
「おい、行くな。行っちゃダメだ」
その言葉を振り切って、彼女は汽車に向かって走る。
全力疾走だ。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
スタスタスタスタ。
ガタガタガタガタ。
(だんだん速くなる)
ポッポー。
彼女、飛び乗る。
スタッ。 着地。
こうやって書いてみると
結構、音がたくさんのうるさいシーンになる。
効果音がたくさん入りそうだ。
②待合室のシーン。
うつむいて座っている彼女に
彼女が歌う歌が聴こえてきて通り過ぎていってしまう。
もちろん、心の中。
聴こえてきたのは、きっと悲しい歌なんだと思う。
けど、それが、悲しい現実と、その後の日常をつなぐ架け橋になっている。
(こういう解釈でいいのかな)
でさ、オイラにとっては、汽車の音も、聴こえてくる彼女の歌も
サイレントムービーの世界。
なんか、そういうイメージ。
静寂。
さすが「喝采」 名曲なんだろうな。
きっと感銘を受けた人が多いんだと思う。
で、心の歌になってる人が。
ユーチューブにいろんなバージョンがアップされてる。
レコード。
テレビで歌ってるバージョン。
レコード大賞を取ったときのバージョン。
レコードと普通に歌ってるテレビバージョンは、
①②のシーンを彼女は、押さえて淡々と表現している。
ところが、レコード大賞は、
彼女、感激しちゃったんだろうな。
思い切り、歌っちゃってる。泣き声にもなっちゃってるし。
それはそれで、感動はあるし、いいと思う。
でも、やはり、レコードがベストだな。
押さえて、押さえて、押さえて
淡々と、淡々と…。
彼女のそういう表現、すごかったと思う。
で、最後に、
アハハハハ、どうでもいい話になっちゃうかもしれないけど
ここに出てくる汽車は
まちがいなく、蒸気機関車だと、オイラは思う。
電車だったら、走りだしたら飛び乗れない。
ドアがしまってから、走りだすモンな。
でさ、飛び乗っちゃったのが、運命の分岐点。
そこから、物語は動き出した。
もし、汽車がもう少し、ホンのちょっとだけ速くて
飛び乗ることができなかったら、
もし、汽車じゃなくて電車だったら、
また、別の物語になってたんだろうな。
喝采を浴びることは、なかったろうけれど、もしかすると幸せだったのかもしれない。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
オイラたちと繋がりがある
沖縄の映画制作会社 海燕社さん。
野澤監督の映画が、同じ時期に同じ映画館で
一緒に上映されたのがご縁で知り合いました。
今、海燕社さんは
沖縄の伝統技『むんじゅる笠』のドキュメンタリーを作ってます。
そして
一般の方々から、映画制作の資金を募るクラウドファンディングを行ってます。
興味がある方はご覧になってみてくださいね。
https://motion-gallery.net/projects/munjuru_2020