こんにちは、宮下みえですウインクイエローハート


梅雨明けから暑い毎日が続いていますがアセアセ

涼しい部屋でゆっくり本を読むには快適な季節ですねラブラブ照れ



私は毎日 ノートに3ページなんでも思ったことを書いていくモーニングページ(「ずっとやりたかったことを、やりなさい」という本の毎日のワーク)をやっていますが


今朝はなんだか SNSを見ながら 無意識のうちに人と自分を比較してしまっていることに気づいて


そのモヤモヤする感じを ノートで掘り下げていくと

そのままインナーチャイルドにつながって癒やされたので

その内容を書いていきますね

(最初辛辣な感じで始まるのは 遠まわしかつわざと自分を傷つけるような言い方をするエゴさんらしいですウシシ



人生を勝ち負けととらえると

人の失敗を願うようになる

自分では何も行動しないくせに 

人が落ちれば もしくは人を落とすことで 

自分が「負けない」ことを願うようになる


「みんな負ければいいのに」

そう思うようになってしまったのは

なんでだったんだろう?


「私は負けた」と

苦しくなるほど辛い思いをした過去があったからだ

「私はあの子に何もかも負けた。勉強も、友達の数も、恋愛も…何ひとつ勝てなかった」


でもどうして、人と勝ち負けを競うようになった?

本当は競うべきはスポーツや何かの勝負だから面白いのであって 人そのものを比べて勝ち負けを決めることは

何の喜びも生まないはずなのに。


1つは その時大学での勉強がつまらなかったからだ

興味や夢があって選んだわけじゃなく 

それより大学生活を楽しむことが優先だった

お洒落で可愛くてスタイルがいいと

周りに思われるために

バイトで稼いで 使って…

そして時々ストレス解消のために買い物をして

また稼がないと…となる そんな日々の繰り返しだった


部活のバドミントンで

もっと勝敗にこだわって熱中していたら

人生で勝ち負けにこだわったりなんかしなかっただろうか


バドミントンは真剣にやっていたけど

どこか勝ち負けに熱中することから逃げてもいた


あの頃の年齢は 何かに夢中になるのがカッコ悪い

ダサいと思う年頃だから

ゆるく、楽しく、仲良くということに焦点を当ててた

マジメにやってる人がバカにされるのも見ていたし

ゆるくやってる人達にバカにされたくなかった


本当はもっと夢中になって 全てのストレスをぶつけるようにバドミントンに集中していたら、余計なことは考えなくて済んだだろう


考えすぎて、疲れてた。

人間関係に。


モテることやうまくやること

自分を大きく見せようとすること

うまくできない自分を隠すことに必死だった


私は愛されない、ことが辛かった。

どこででも愛されなきゃ、好かれなきゃ、みんなとうまくやらなきゃ…そうすることにあまりにも必死だった


優秀な大学を出てもまだ上はいるし足りない、

もっともっと可愛く、仕事もでき、優しい先輩でいなきゃ

優しい彼女でいなきゃ…


もうすっかり、「人からどう見られるか」

ばかりの人間になってた。



「誰か 本当の私を分かって」


心の奥底で 

20歳頃のインナーチャイルドが叫んでる


真っ暗な中でひとりぼっちで

泣きながらぽろぽろと本音を話し出す


誰か 本当の私に気づいて。


私は 可愛くなくても 優秀じゃなくても

そのままの私で愛されたい。


もう本当は 人の目を気にするなんてやめたい。


どんな私でも愛されたい。

自由でいたい。


好きなことに夢中になって 人のことも忘れちゃうくらい

のめり込んでる私だって、笑って許されたい。


何かに夢中になったら寝食忘れてのめり込んじゃって

実生活では時間が守れなくて遅刻しちゃう

そんな私のままで愛されたい。


手先が器用じゃなくて 段取りも下手で

うまくいかなくても 「しょうがないね」って

笑って許されたい。



そんなインナーチャイルドの想いを聴いて

私は「どんなみえちゃんでも そのまま全部愛してるよ」と

伝えて 私がすべての望みをわかってあげて

どんなダメだと怒られてきたこともすべて私が笑って許した


どんなあなたも愛してる

全ては大切なあなたの一部だから

どんな否定されたとしても なくそうとしないで

そのままのあなたを、愛してる。



そうしたら
チャイルドさんは嬉し涙を流して喜んで
また自分の内側が仲良くなって 世界が優しくなったような感じがしたニコニコピンクハート