当時、、、
記憶に有るのは、同じ会社の神戸支店の一人の女性が、
何もかも無くし、
電車にパジャマと裸足で乗り込み、合羽を借り、長靴を借り、
駅で電話を借りて、本社と連絡を取り、
電車には無料で乗せて貰って、名古屋まで来られた事。
名古屋には、当時、ワタシの勤務先には「男性独身寮」が有りました。
彼女は、其の独身寮から、厳しい生活と寂しさの中で、
名古屋支店での勤務を続ける事を始めました。
皆が其々に必要な生活用品をカンパし、お金を集めて持ちより、
彼女が働けるよう、援助を惜しみませんでした。
半年ほど同じ支店で働いていましたが、
其の後、大阪へ移動しました。
名古屋に居た時、
たった独りぼっちになった彼女は、いつも凛として一生懸命でしたが
時折、屋上のベンチで声を上げて泣いているのを見かけました。
ワタシや、他の同僚も、
ただ、傍に座って一緒に泣く事しか出来ませんでした。
大阪に移動した後の彼女の消息は、詳しくは分かりませんが、
きっと、強い心を持って、元気に暮らしているだろうと、
願うしか有りません。
27年前の1月17日。。旦那様が39歳の誕生日を迎えた翌日でした。
🐰『アナタの30代、最後の年だね』と、
大笑いをし合っていた翌日でした。
犠牲になられた方々の御冥福と、平穏を心より祈ります。
目覚ましい復興を遂げられた被災地の方々の努力に、
惜しみない賞賛を送りたいと思います。
彼女の好きだった 好きなおむすび(お握り)の具材は
【塩昆布】
