公立の中学校へ通うことになった私は、体育会系のクラブに入り、新しい友達もたくさん出来ました。
毎日、学校が楽しくて仕方がありませんでした。
しかしその反面、家庭内は少しずつバランスを崩し始めていたのです・・・。
原因は、父親の不倫・・・。
父親が家に戻らない日が、当たり前になりました。
その頃のことは、今でも正直あまり思い出したくありません。
当時、学校が大好きだった私は、逆に家が大嫌いでした。
父親の不倫により、母親は精神的に病をかかえます。
もともとヒステリックなところがありましたが、更に酷くなります。
たまに父親と顔を合わせたと思うと、激しく喧嘩もしていました。
大声での罵声。
物の壊れる音。
泣き叫ぶ母親の声。
私たち兄弟はいたたまれなくなり、子供部屋へ避難します。
父親の不倫をきっかけに、母親は学会への依存が大きくなったと思います。
私達兄弟が学校から帰っても、学会活動で家に居ない日が増えました。
特に選挙前は酷かったですね。
私はというと、毎日クラブでの練習で忙しく、ほとんど会合など行事には参加することがなくなりました。
クラブが楽しかったというのもありますが、学会活動を断る口実にも利用できたので積極的に練習に打ち込みました。
しかし、家に帰ると地獄です。
今でも一番覚えている出来事は、学校から戻り、冷蔵庫から牛乳を取り出して飲もうとしたときに起こった事。
「アンタやろーーーっまたラッパ飲みしてっ」
といきなり怒鳴られ、頭を叩かれました。
ちなみに、私はお上品ぶるわけではありませんが、いつも飲み物はコップに入れて飲んでいます。
私に全く非はないのに、その言われよう・・・
現行犯でもないので、もちろん頭にきます
「お母さんなんか、大嫌いや勝手に妄想して、決め付けてばっかりで最悪や」
っと言い返します。
返ってきた言葉は、
「私もアンタは大嫌いやロクに信心もせーへんしな」
信心という言葉にカチンときました。
なぜ今、この場面で学会の話が出てくるのか意味が分からなかったからです。
それからは、私は必要事項以外は母親と会話することをやめました。
無駄に話しかけてキツくあたられて、傷つく事が恐かったからです。
不倫する父親。
学会に依存する母親。
私の中で、一番しんどかった時期はこの頃がピークでした。
尊敬も信頼も出来ない両親。
そんな私の心の拠り所は学校であり、友達でした。
唯一の逃げ場である学校も、この後奪われることになりますが・・・。
その話はまた次の更新で・・・。
今、思えば父親が不倫したかった気持ちも分かるかもしれません。
私が学校を逃げ場にしていたように、父親は女を逃げ場にしていたのかもしれません。
昔から夫である自分をほったらかして、学会活動ばかりしていた母親・・・。
きっと寂しかったんじゃないでしょうか。
私も寂しかったです。
この中学校時代を通してずっと疑問に思っていること。
家庭が崩壊してまで、学会活動ってそんなに大事な事ですか?
よく母親が口癖にしている「世界平和」という言葉。
世界平和のために、自分は頑張っているんだと胸を張って言い続けています。
自分の家庭も平和に出来ないのに、世界平和なんて無理に決まってるだろ。
少なくとも、私にはそう思えて仕方ありません。