ラジオNIKKEI開局50周年記念エッセイ佳作入選
「母ちゃんが届けてくれた声」ガタン!列車が動きだした時、ホームにいた母ちゃんの顔がゆがんだ。何か言おうとしたが途中でやめた。列車の中の私は、ただうつむいていた。東北の寒村で育った私が東京へ働きに出た日のことだ。親戚の紹介で、少しは名の知れた料理屋に住み込みで雇われたことは幸運だった。東京に着いた私は先輩の板前たちに一通り挨拶を終え、自分の部屋に案内された。自分の部屋といっても、もちろん三人相部屋であった。小さなボストンバックから荷物を出していると、小さなものがコツンと手に触れた。あのラジオだ、、、決して高いものではなかったが貧しい我が家では、とてもラジオなど買える状況にはなかった。それを知っていた私は、就職祝いに買ってやるという母の申し出を何度も断っていたのだ。それなのに母ちゃんは、、、それからつらい毎日が始まった。もともと口の重たい私は、先輩たちに可愛がられることはなかった。小さないじめが延々と続き、やがて無視されるようになった。私にとってはいじめられるよりは、無視されるほうがよっぽど有り難かった。一日の仕事が終わり。部屋に戻るのは私が一番最後。先輩より先にふとんに入ることなど許されなかった。皆が眠りについてから私はふとんに入る。私のたった一つの安らぎの時間が始まる。かけぶとんをすっぽり頭までかぶり、耳にラジオをぎゅっと押し付ける。音が外に漏れないように小さな音量で聞かなければならなかったのだ。ラジオから聞こえてくる声は、どれも私に優しくしてくれた。たまにニュースが故郷の話題を伝えると、あぜ道を歩く母ちゃんの姿が目に浮かび、枕が濡れた。ある朝、目を覚ますと、私のラジオが無くなっていた。布団の中をいくら探しても見つからなかった。盗まれたのだろうか、だいたい察しは付いていたが私は黙っていた。それから何日か経った休みの日、二階の部屋から下に降りてゆくと私にいつもつらく当たっていた先輩の板前がそのラジオで競馬中継を聞いていた。私を見るなり背を向けた。私は、板前が競馬を聞き終わるのをずっと後ろで待ち続けた。振り向いた板前は慌てて言った。「なんだ、まだいたのか。これ貸しとけよな」私はそれだけは困ると言った。返してくれるように何度も何度も頼んだ。「けちな野郎だな。こんなちんけなラジオがそんなに大事かい。取れるもんなら取ってみな」いつもは無口でおとなしかった私は、猛然と取り返そうとした。ついに取っ組み合いになった。殴られても、殴られても私は手を出さなかった。殴り返したら今までの苦労が無駄になると思ったからだ。故郷へ帰るわけにはいかない。やがて根負けした板前は、こんなものいらね~よ、と言ってラジオを放り投げた。ラジオのカバーが割れて飛び散った。私は急いでラジオを拾いそっとスイッチを入れてみた。中身がむき出しになったラジオからは、何事もなかったように音声が流れてきた。破片をひとつひとつ拾い集めセロハンテープでつなぎ合わせた。このラジオ、俺みたいだ、、、そう思った。年月が流れ私は一人前の板前になっていた。平穏な日々の繰り返しに、故郷のこと、母のことが少しずつ埋もれていった。ある晩いつものようにテレビを見ていた時突然知らせが届いた。母ちゃんが死んだ、、、、山あいを灰色に染める霧雨が参列者の少ない葬式をいっそう淋しいものにしていた。急死ということになっていたが、母は具合の悪いことをずっと隠していたと親戚の者に教えられた。俺はいったい何をしていたんだ。なんという親不孝者だろう。東京に戻った私は仕舞い込んであった継ぎはぎだらけのラジオを取り出してみた。変色したセロハンテープがところどころはがれかけている。母ちゃん、長いこと会いに行かなくてごめん。何もしてやれなくてごめん。祈るような気持ちで、スイッチを入れてみた。アナウンサーの声が聞こえてきた。「東北地方。明日は、曇り。ときどき雨でしょう。」