旦那さんとわたしは
ドライブしているとき
 
 
いろんなことをよく話す
 
 
 
 
アフリカで21歳まで生活し
その後、イギリスに渡り15年過ごした彼
 
 
 
日本人とのわたしとは
話が合わないことがたくさんある
 
 
 

父がまだ生きていたころ
『死』について話をしたときがあった
 
 
 
父の死について書く前に
これを記しておきたいと思う

 
 
 
 
旦那さんは
『人は自然と共に消えるのがいい』
 《枯れるように死ぬ》


 
そう言って話を続けた
 
 

今の医療システムは
より長い命をたくさんの人々に与えている
 
 
 
 
そういう人たちは
もうすでにこの世にはいないはずなんだ
 
 
 

僕がもし、歳をとって
食事も摂れなくなってしまったら
 
 
 
さっさと家に帰って
余生を静かに過ごすことだろう
 
 
 
そして静かに死を待つだろう
 
 
 
自然界を見たらわかるだろうけど
 
 
もし、動物たちが
怪我をしたり、病気になったりしたら
 
 
 
 
彼らは他の力で
生き残ることはできない
 
 
 
若くて強い動物たちは
自らの力で治癒し、立ち上がることが
できるけれど
 
 
 
 
歳をとってしまったら
それはもうできなくなる
 
 
 
 
自分の力で
生きられない老いた動物は死ぬ
 
 
 
 

それが『自然に死ぬ』ということだ
 

 
 

 
 
わたしは彼に
 
 
 
「わたしが何も食べられなくなったらどうする?
点滴や胃瘻をしたら生きられると医師に言われたらどうする?』
 
 


と聞いてみた 
 
 
彼は
 
「それは、僕が決めることじゃなく
君が決めることだよ」
 

  


 
わたしは、旦那さんが
生きていてくれるなら




口から食事が摂れなくなっても
この世にいてほしいと思うけど
 
 
 
 
そういう考えは彼の中には全くなかった
 
 
 
 
『自分の人生は、自分で決める』
 
 
 
 
 
そして
 


『自然に逆らわずに、自然とともに死ぬ』
 
 
 
 
その日
わたしの今まで考えていた
『死』の概念がガラリと変わり






新たな『死』の概念が生まれた
 
 
 
 

 
 
 
 
そして、なぜこの話をしたのかが
父の死後わかることになる