父は5人の姉がいる


実際、身体が備わっている姉は
ひとりになってしまったけれど
 

身体がないから、いないのではない
と最近すごく思う
 
 
父の3番目の姉は
家族からサラリと離れて
ひとりの時間を楽しむような人だった
 
  

二人の娘もいたが
彼女たちを義父母に託し  
自分の心に正直に
あるがままに生きた人だった
 
 
 
歳をとっても一人暮らしを好み ひとりの時間友達との時間を それはそれは楽しんで過ごしていた  
先日、その叔母の法事が尾鷲であったが 母は父の介護が大変だろうと呼ばれていなかった その日父の介護施設からわたしに連絡があり 母に連絡がつかない 父の着替えがない施設まで持ってきてほしい とのことでそのとき一緒にいた友だちと 『わぁ、初めてお父さんのディサービスに侵入できるねー』   なんて、わくわくしながら いつも通る尾鷲神社の前の道を運転していた ふと、友だちが直感で道を歩いている人がわたしの母だとわかり 母を乗せて父のいる施設へ一緒にいけることになった 前々から『お父さん、ディサービスでどうやっているのか知りたいよねー』と母と常々話していたのが 母が忘れ物をしたことですんなり実現してしまった そして車に乗り込んだ母が 聞いて!聞いて!と言わんばかりに話し始めた 今日親戚のおじさんの法事でお寺に行ったが それが終わって外に出ると、父の3番目の姉の娘たちがいて 今日が、叔母の法事だったとのことで 偶然、それにも参列できたと嬉しそうに話していた そして、次の日母が大掃除をしていたらこんなものがあったのよー と新聞の切り抜きを手渡してくれた  
その叔母は娘でないわたしをなぜかとても可愛がってくれて  

小学2年のわたしの詩が新聞に載ったときも それを切り取ってスクラップブックに挟んでくれていたらしい 昨日は法事で、今日はこれで何かあるのかしらねー なにか伝えたいことがあったのかしらねー って母が言っていた  
叔母の法事に詩の切り抜き その詩に書いてあったのは わたしの父と母のこと 叔母はきっと嬉しかったんだと思う 自分の弟を母とわたしが看ていること 大事にしていることがとても嬉しかったんだと思う そして家族から離れてひとりで暮らすことを決意した彼女が 身体を手放してから家族の大切さに 気づいたのではないかとわたしは思う。 離れた暮らしたことに悔いはないだろうけど こういう家族の形もあったのね。 なんて思ってるかもしれない。 これらはあくまでもわたしの推測でしかないのだけれど でも、死して身体がなくなろうとも こうやって伝えたいことは伝わるんだと感じた。 身体がないからこそ伝わることもあるのかもしれない わたしたちはそうやって日々、 亡くなった人たちの愛を感じて生きているのだと思う。 そんなことを思っていた今日 母がわたしの顔を見てこう言った 「あんた、今ひま?時間あったら、おばちゃんのお墓参りいこか?」 なんでドンピシャな・・・笑 そして、私たち二人は叔母の墓前で、感謝の気持ちを伝えた。
 
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