「と言う事で、かんぱ~い!!」

もう何度めの乾杯だろうか。
皆に祝福され、たくさん笑って、たくさん飲んで
凄く楽しいんだけど
少しはしゃぎ過ぎたみたい……
頭がフラフラする。

「ちょっと、お手洗いに行って来るね。」

話に夢中になるケイトに耳打ちをして席を離れた。

カウンターを通り過ぎ、奥まった場所にあるトイレに行くと
何人かトイレの前で列を作っていたのでその一番後ろに並んだ。
時間潰しにと携帯を取り出せば
メールの着信を知らせるランプがチカチカしていたので
慌ててメールを確認した。

『打ち合わせが終わったので、今からそっちに行く。まだ一軒目の店にいるの?』

まだ受信してから、そんなに時間は経ってない。
素早くメールを打った。

『はい、まだ一軒めです。』

すぐに送信ボタンを押そうとして、指を止め
また編集画面に戻った。

『……久遠、待ってるから早く来てね…』

文の最後を少し迷って、絵文字のキスマークを付けた。

へへへ、付けちゃった。
恋人同士だもん、別にいいよね。

いつもなら恥ずかしくて、そんな絵文字は使わないんだけど
酔っ払っているせいか、ちょっと大胆になっていた。
順番が来たので携帯を中にしまって、用を済ませる。
店内に戻ると、バーカウンターにヘンリーが座っていた。

「リサ、大丈夫?酔っぱらっちゃった?」
「ええ、少し飲み過ぎたみたい。」
「俺もだ。リサもお水をどうぞ。」
「ありがとう。」

渡された水を飲んで、元の部屋に戻ろうと
ヘンリーの後ろを通り過ぎようとして腕を掴まれ振り返った。

「え、なに?」
「少し、こっちで飲まないか?」
「手を離して。早く戻らないとケイトが心配するわ。」

顔を歪めて、腕を振りほどいた。
しかしヘンリーは引き下がらない。

「少しぐらいなら大丈夫さ。ケイトは今、アンリと話すのに夢中でこっちの事なんか気づいてないよ。」
「でも……」
「頼む。君とゆっくり話がしたいんだ。」

真剣な眼差しで見つめるヘンリーに、キョーコは迷った。

いくらケイト達がいる店内とはいえ、二人っきりになるのはマズイと思う。
でも、彼がずっと何か言いたがっているのも気づいていた。
もしも3年前のあの時の事なら、話をしたほうがいいのかもしれない。
結局言うだけ言って彼の話も聞けずに、それっきりだったものね…

それに久遠もすぐに合流するだろうから、来たら一緒にケイトの元に戻ればいい・・・・・
少しぐらいなら、きっと大丈夫よ。

キョーコは迷った挙句、ヘンリーの誘いに頷き、隣に腰掛けた。

「ありがとう、リサ。何か飲む?」
「いえ、お酒はもう止めとくわ。」
「なら、これをどうぞ。」

すでに頼んでいたのか、彼の隣にあったオレンジジュースを私の目の前に差し出した。

「これは?」
「ジュースだよ。」

一口飲むと、よく冷えていて口の中がさっぱりとする。

「美味しい…」
「それは良かった。ところでリサ。」
「はい。」
「俺たちが、ぶつかった日の事を覚えてる?」
「ええ、もちろん。」

やっぱりあの事だったんだ~
まさか、まだ根に持っていたりする?
どうしよう……危険かな?
ここは逃げた方がいいかもしれない。

身体を横に向けて、こっそりお尻をずらして距離をとる。

「リサ!」
「キャッ」

いきなり手を握られて、ビクッとなった。

「別に怒りたくて君を引き止めたんじゃない。お願いだから怖がらないで。」
「でも私……あの時、公衆の面前で貴方に恥をかかせてしまったわ。怒っているとしても仕方ないと思う・・・・・・」
「ああ、確かに。あれは衝撃的だった。」
「……すみません。」

肩を落として視線を外す。

「僕はね、あの日まで親にも叩かれた事はなかったんだよ。それがまさか、こんな可愛い女の子からいきなり平手打ちされるとは思わなかった。」
「誠に申し訳ございませ~ん。」

テーブルの上に両手をついて、深く頭を下げる。

「勘違いしないでくれ。別に責めてるわけじゃないんだ。むしろ感謝してる。」
「え?」
「あの日君が言った言葉で、僕は変われたんだ。」
「偏見で人を見るのは止めたんですか?」
「相変わらず遠慮がない物言いだな。」

クスッと笑って、揺らしていたグラスの水割りを一口飲んで
テーブルにグラスを置く。
そして諭すように、キョーコの頭をポンポンと叩いた。

「でも、あれは偏見じゃない。ただの真実だよ、リサ。それに僕は認めるべき人間は、ちゃんと認めている。」
「そうですか……でも……」

顔を上げると、笑みを浮かべるヘンリーの瞳の奥が
不気味なほど仄暗く揺れていた。
ゾッとなったキョーコは焦って次の言葉を飲み込む。

「差別は他人より優れた存在でありたいと願う、人間の欲望からくるものだ。決してなくならない。そして残念なことに、数的優位に立つ人間は、時に大きな間違いを起こすんだ。キョーコ、私は大事な娘を失いたくない。娘を想う、親の気持ちもわかってくれ。」

あの晩言われた、父の言葉を思い出した。

3年前、あれは舞台の全日程を終えた直後だった。
共演者の黒人男性を酷い差別言葉で罵っていた彼を見過ごす事ができず、私は二人の間に入った。
何を言っても自分が正しいと言って、差別するのを止めない彼にキレて、思わず平手打ちをしてしまったのだ。
その後すぐに騒ぎを聞いて駆けつけた父に連れ帰られ、家でこんこんと諭され、自分達の立場がどれほど脆いものかを初めて理解した。

久遠を待つより、皆の所に戻った方が今は安全ね。

「ヘンリー、私そろそろ戻ります。」

素早く椅子から降りた途端、クラっとなった。

「危ない!」

咄嗟に倒れそうになったリサを抱きとめる。

「大丈夫?」
「すみません、やっぱり今夜はホテルに帰ります。」

彼の胸に手を当て一歩後ろに下がった。

「その方がいいね。じゃあ、送って行こう。」
「え?あっ、いえ、結構です。1人で帰れますから。」

焦って両手と頭をブンブン横に勢いよく振って、後退りする。

「酔ってる女の子を1人で帰らせるなんて僕にはできないよ。」
「いえいえ、そこまで酔ってはいませんからご心配なく!」

またフラッと身体が揺れるが、何とか踏ん張った。

「ほら、もう足元はふらふらじゃないか。」

ゆっくりとヘンリーは近づいてきた。

なんなのぉ~! この人、怖い!

「ご好意は嬉しいんですが、もうすぐ私の連れが来ますので彼に送って貰います。」
「ボーイフレンド?」
「あ…はい///」
「そうか……これだけ魅力的な女性なら、ボーイフレンドの1人や2人、いてもおかしくはないよね。」

言葉とは裏腹に、厳しい表情で彼の腕が伸びてきた。
慌てて後ろに下がったキョーコだったが、壁まで追い詰められてもう後がない。

「ヘンリー、からかうのは止めて。貴方も酔ってるのよ。皆の所に戻りましょう。」
「からかってなんかいない。僕は真剣だ。」

ドンと壁に片手を付いたヘンリーと
警戒するキョーコの視線が合わさった。

「さっきも言ったよね。君のおかげで俺は変われたって。」
「ええ、でも……私には覚えがないんです。」
「あの頃の俺は、出口のない迷路に迷い込んでいたんだ。このままではいけないとわかっていても、自分ではどうする事もできなくて、全部他人のせいにして怒りをぶちまけていた。」
「だから、あんな真似をされたんですか……」
「ああ、今思うと愚かで浅はかな行いだったな。」
「そうですね・・・・・・」
「君に平手打ちされた時、雷に打たれたみたいな衝撃で、ハッと目が覚めた。その後、君が言ってくれた言葉が俺を救ってくれたんだ。」
「言葉?」
「うん、『認めて貰えないのは自分の力が足りないだけ。認めさせたいなら自分の力で振り向かせなさい!』ってね。」

(それは上手く演じきれなかった自分を鼓舞しただけで、彼に向けて言った言葉じゃない。
あの時は、感情的になっていたから、さっきまでずっと自分に言い聞かせていた言葉とゴチャ混ぜになって、あまり何を言ったか覚えていない。)

(『貴方なら出来る』そう言ったリサの真剣な眼差しは今も心に焼きついている。)

二人の思いはすれ違っていたが、思い込んでいたヘンリーは
リサの戸惑いにも気づけない。

「すみません……」
「どうして謝るんだい?」
「失礼な物言いになってたと思うから…」
「そんな事はない。君は僕の未来に、光を灯してくれたんだ。」
「いえ、私は何もしてません。」
「あんな偉大な父親の娘である事を隠しもせず、いや寧ろそれを武器にして、自分の力を認めさせている君が眩しかった……」
「いえ、まだまだです・・・・父の足元にも及びません。」
「だが、君は実力でマストロヤンニ賞を獲ったじゃないか。」
「運がよかっただけです。」
「いや、そんな事はない。あの映画の中の君は、誰よりも輝いていた。」
「見てくれたんですか?」
「もちろん。」
「ありがとうございます。」

頬を染め、キョーコは小さく会釈をした。

「僕も今度の映画で絶対に結果を出してみせる。だから・・・・・・」

ゆっくりと伸びた手はキョーコの頬にそっと触れ、寄せた唇が耳朶に触れる。

「ずっと…君を想ってた。」
「止めて、ヘンリー、イヤ。」

手を彼の胸に押し当て、唇から逃れようと背けた顔は、
顎を掴まれて簡単に戻されてしまう。

「I love you・・・・・・リサ」
「いや!お願いだから離して!」

胸を必死で押しのけようとしても強固な壁のようでびくともせず
視線も合わさったまま逸らせない。
顔を見るのも怖くて、せめて目を瞑りたかったけど
そうすれば受け入れたみたいでもっと怖い。
顔を横に振り、捉えられた指から逃れようと必死の抵抗を試みた。

「君はもう俺から逃げられないんだ。」

唇と唇が触れそうな距離でヘンリーが囁く。

「お願いだから止めて。」

懇願するようにもう一度言う。

「君を愛してる・・・・・」
「嘘よ、冗談は止めて。」
「どうしてそう思うんだ?」

指に入る力が僅かに緩み、頭を大きく振って指を払った。
少しだけ距離が開いた分、ヘンリーの今の表情がよくわかる。
どうしてそんな悲しげな目で私を見るの?

「私は、貴方が蔑むカラー。貴方には相応しくない人種よ。」
「そんな事はない。君は他の奴らとは違う、君は選ばれた人間なんだ。」
「違う……私はただの日本人。貴方の嫌いなイエローよ!」
「自分をそんな風に蔑むんじゃない。君は美しい、肌の色も忘れてしまうほど魅力的だ。」
「やっぱりこだわってるじゃない。」
「だが、君が特別である事には変わらない。君は安心して、俺に身を任せればいいんだ。」
「話にならない……狂ってる・・・・」
「ああ、確かに・・・・・君に狂ってるよ。」

髪に指をかき入れ、そのまま後頭部を固定し、動けないようにして唇が触れてくる。

「やっ!いやぁぁぁぁ~~~~~!!!!!」

触れられた瞬間、肌が粟立つような恐怖に襲われ、精一杯の力で彼を突き飛ばした。

アレッ?
急に身体が軽くなったかと思うと、そのまま誰かに腕を引っ張られた。
気づいた時には、逞しい胸の中で、冷たい壁に押しやられていた背中は、慣れ親しんだ腕に包まれていて・・・・・・温かい。

「久遠……」

腕の中で小さく呼んでみたけど、返事はなかった。

「今すぐ-------失せろ。」

地を這うような低い声で、目の前の男に久遠は言い放った。
微動だにせず、床に蹲り呻いている男を見下ろす姿はふと
カイン・ヒールを演じていた頃の蓮と重なる。

怒りに我を忘れ、感情のコントロールを失ったB.J------

「ダメ!久遠・・・・!!!」

キョーコは、久遠にギュッとしがみついて叫んだ。
わずかだが、さっきまでの殺意に満ちた怒りの波動が緩む。

「う、いたたたたた…いきなり何しやがる!!」

痛みに顔を歪め睨みつけた男と目が合った途端
二人の険しい表情が驚愕に変わっていた。

「お前……クオンか?」
「ヘンリー……?」

わずかに震えるクオンの手に、キョーコは嫌な予感がするのだった。

つづく


途切れさせたくないので、週一更新でしばらくは進めます。
(多分あせるでも自信はないので、曜日は決めれないw)


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