人を通じて自分を知る | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。


自分と共にあるということは

どういうことなんだろう



私たちはいつだって外の世界を通じて自分の姿を見ているのだ。


人を通じて自分を知ることになっているのだ。




人を見て何かモヤモヤとするならば、その人を通じて「自分が見過ごしてきた自分の姿」を見ているのだろう。


または、自分が学ぶべき何かに直面しているのだ。

自分が学ぶ時なのだ。



人のことを言っているうちは、自分の姿を見ないで済む。

自分を深く見るためには、人を通じて感じた自分をよく見ることだ。


自分はどうしてそう感じてるのか、自分の心を見ることだ。


自分をよく見て、そして許し、受け入れ、自分をもっともっと癒し、鍛錬していくとどうなるか




人のことが気にならなくなる


悩んでる人も困ってる人も

それで良いのだと思えるようになる。



はじめから、困っている人など

居なかったかのようにさえ思えてくる。


みんなが神様のようだ。


その人はその人の学びの中に居て、下にいるわけでも何か治さなくてはいけない問題を抱えて居るわけでもないのだと分かるようになる。(エネルギー状態が下がっているのを適切に見極めることは、又別の話である)



それまでの自分が、そのように見ていただけなんだと分かるようになる。


多分きっと、

そこで初めてやっと、求める人に適切に手を差し伸べることが出来る位の

最低限のレベルに自分が達したのだ。





みな、学びの中にいる仲間である。

変わらなければならない人なんて居ないのだ。


気になるその人が、変わらなかったらどうだというのか?


自分の恐怖と向き合うのがいい。

自分の恐怖、傷が真実を歪めて見せてるだけだと気づくからだ。