以前にも、バッハって自由なのかも?と記事に書いたことがあったけど、
最近はよりそう思う。
自然界の物理的なルール
音の幅が広がれば大きくなる、重みがくる場所が微かに長めになるとか、
あとはリズムとしての拍感。
その辺りが逸脱していなければ、あとはすごく自由でいいのでは?
素敵なバッハだな、と思う人の演奏を聴いているとしみじみそう思う。
作曲者の意図がたくさんある曲よりも、自由。
重々しくとか軽やかにとか、そういうの、
複雑な音楽記号もないし。
音が忙しく飛んだり、たくさん和音の連続とかがない分、
演奏する人の感情や気分がより感じられる。
そういう所がとても好き。
たぶんシンプルなものほど、それを扱う人の個性が表れやすい?
アートワークでも、
「丸と三角と四角を描いてみましょう」
って教示(指示)がある時の、人それぞれ、いろんな表現になる面白さ。
納得アリ、驚きもアリ。
それに近いかも
バッハ、今はそんな風に思えて楽しい。
不器用な演奏で、ゆっくりカメの歩みだけど、
その中に見えるものを味わっていきたい。
「自由な表現」
今まで、真面目な性格だからかっちり見えるバッハが好きなんだと思ってたけど、たぶん逆。
憧れてるんだと思う。
バッハの「自由」は今自分に不足してるもの。
最終曲のジーグ、少しずつテンポが上がってきました。
たぶんインテンポには届かないけど、
今回早めに譜読みを始めておいて良かった。
ベートーヴェンの悲愴も、少し先取りして3楽章の音取りを始めてます。
練習の余裕がある時に1段ずつ✊
それでも後々違う気がする。
かっちりと枠に収めたいタイプ