死のうと思った。



そう思ったのは人のせいで
今生きてるのはまた人のおかげ。
縁を作るは自分。また繋げるも自分。


何かを言ってもどうせ伝わらない相手に何かを言う気はない。
だから、個人的な詳細についてはもはや触れる気もなければ、人間的に合わない人と付き合う気ももちろんない。

わざわざぴここの真実を話したところで何も変わりはしない。

先入観を持つ人に敵側の声が届くはずはない。ぴここもまた、それをわかって声を出す気もない。

ただ人間として
第三者や中立に立つ者に、個人的感情移入や先入観は持ってほしくないものだ。
冷静さを失うなら、介入など迷惑なだけ。

人は目に見えるものを信じる。
最初に入ったことに流される。
所詮その程度。
勝手に高く見積もったゆえ、落胆が大きい。





あの日。

何があったかは今さほど問題ではない。
それをどう言われたかも問題ではない。

ただ
わかってほしかったのは
ぴここが今生きているということ。

ぴここがあの日死んだということ。

もちろんその人達にとっては
ぴここの命はどうでもよくて
目の前の彼女がすべてだったのだろう。


ここに
生きているという結果がある。
だからこの文章に重みはないだろう。

大袈裟事だと言われればそれまで。

そうでないと思うのならば、その先を見極めればよいこと。



夜中。
終電もなくなった夜中。

オールあけ、一日労働の後。

朝の揉め事はさておき、連絡は取れると思っていた。
それが甘かった。

彼女や周辺は音信不通。
彼女の家に貴重品や必需品を備えたまま、ただ翻弄するしかなかった。

荷物の中には、家の鍵も、お金も入っていた。

どんな状況になろうとも、大切な荷物だけは再び手にできると、そうさせてくれると信じていた。
それが甘かった。

夜中に連絡のつく相手はなく、また行動を起こしてくれる相手などどこにいるのだろうか。


どこかで拾われることを考えた。
お風呂があって、布団があるならそれでよかった。

そうしてすべてを投げ出したくなった。

ふと考える。
そこまでして生きて何になる?

明かりの見えない明日に向かってがんばれるほど立派ではない。

ただ
泣くことだけはしたくないと決めていた。

泣く間があるなら走れ。
ゴールがない、作れないならログアウトしよう。

そうして
ログアウトに決めた。

高いビルへの上り方がわからなかった。
だから、裏道でカッターを握ることに決めた。

カッターは持ち歩いている。仕事柄、とでも言うのだろうか。


かばんを開けた先
携帯が光った。

折り返しの電話。


彼女に救われた。



目に見えないものを見ろと言うのは難しいことで、目に見えるものを信じろというのは必ずしも正確ではない。

すれ違いは当然で、恨み合うのは当たり前で、理不尽に当たられることや矛盾な中でぶつかられることもしばしば。

ただ、もしも自分が間違っていないのならば
それを理解してくれる相手は必ずいるもので
小さな世界の中では自分が間違いだとされても
世界の外には
その世界が間違いだと言う人がいるものだ。

そのときのその相手がすべてではない。
それが間違いでないと思うのならば貫けばいい。
合わない世界に合わせることはない。


揉め事の山のあと
彼女が言った。
付き合いは選べ。と。


ちなみにその翌日
再び荷物を取りに行くと、相変わらず彼女は留守なようだった。
仕方なく大家さんに頼んでみることにすると、荷物は大家さんの家の玄関先にあった。
話を聞くと
捨てられていて、ゴミ収集で持っていかれるのを、ゴミにしては不自然だと感じた大家さんが預かっていてくれたらしい。

まさかゴミにされようとは…想定外すぎて、自分の中の人間的常識を超えていて、なんともいえなかった。

ただ、はっきりとわかっていることは、これが切って間違いではない縁だということ。
彼女の言う通りだ。


何がよかったのかはわからない。
だから
生きて証明しよう。



助けてくれた彼女の行動を無にしないためにも
死にたいとはもう言わない。
死のうとはもうしない。
生きることでぶつかるしかないから。