第二六三海軍航空隊【豹部隊】
【開隊】
昭和18年10月1日 元山基地
【司令】
玉井浅一 中佐
【飛行隊長】
重松康弘 大尉 (海兵66期)
【分隊長】
武藤陳彦 大尉 (海兵69期)
【定数】
零戦 36機 後に72機
昭和18年10月1日付
第一航空艦隊に配属。
通称を「豹」部隊と呼ばれる。
昭和18年11月
飛練を終了した甲飛10期生が主体で、歴戦の搭乗員は少数。
松山基地で錬成を開始。
昭和19年2月1日付
第一航空艦隊/第六一航空戦隊に改編。
昭和19年2月20日
一航艦のマリアナ諸島進出の為に、 二六三空先発隊:零戦18機が、一航艦司令部と共に硫黄島経由で、香取基地を発進。
(他に一二一空:二式艦偵11機)
七六一空:一式陸攻40機が鹿屋基地より、テニアンに直行。
五二三空:彗星艦爆12機が、硫黄島経由でサイパン島に進出、その内10機がテニアン島に転出。
三二一空先発隊:月光夜戦7機が、テニアン島に進出。
昭和19年2月21日
二六三空先発隊、一二一空、一航艦司令部テニアン島進出。
一航艦司令部はテニアン島に置かれた。
三二一空後発隊:月光夜戦5機が、テニアン島に進出。
当時のテニアン基地は施設、防備が未成で、進出機の掩体も不完全だった。
(同日 二六三空はサイパン基地に移動説有り)
昭和19年2月22日
八幡部隊陸攻20機(横空:一式陸攻9機、木更津空:一式陸攻11機)がテニアン進出。
同日
マリアナ諸島の航空兵力
一航艦:93機(二六三空:零戦18機/五二三空:彗星艦爆12機/一二一空:二式陸偵11機/三二一空:月光夜戦12機/七六一空:一式陸攻40機)
昭和19年2月23日
「サイパン、テニアン島上空邀撃戦」。
早朝 零戦8機(基地上空哨戒中?)発進。
テニアン島、サイパン島上空にて、米艦載機群を邀撃、グラマンF6F戦闘機9機を撃墜。
1100頃 零戦1機がテニアン第一基地に不時着。(空戦中、酸素ボンベに被弾、左胴体に直径80センチの破孔)
【編成】
零戦8機
【戦果】
撃墜:F6F戦闘機9機
《米軍記録》
損失:F6F戦闘機5機 TBF/TBM攻撃機1機(地上砲火を含む)
【被害】
自爆/未帰還:11機
地上大破:6機(うち1機は被弾後、テニアン不時着による)。
【未帰還者】
吉川芳博 中尉 (海兵70期) テニアン
輪島由雄 中尉 (操練18期) 〃 *総撃墜機数:11機(公認)
大久保富正 一飛曹 (甲飛7期) 〃
岡田良三 一飛曹 ( 〃 ) 〃
太田 稔 (丙飛10期) 〃
門脇克悦 (丙飛12期) 〃
品田安蔵 ( 〃 ) 〃
以上7名は、判明した空戦による戦死者
その他4名[筆者注:調査未完のため氏名不祥]
重松飛行隊長以下生存者は、輸送機で松山基地に帰還。
昭和19年2月末~3月中旬
零戦49機がグアム第一飛行場へ進出。
昭和19年3月4日
パガン島
【戦死者】
高木哲郎 二飛曹 (甲飛10期)
昭和19年3月5日
基地員約500名、資材は空母「千代田」に搭載されサイパン着。
昭和19年3月15日
グアム島に進出。(井上 武二飛曹等)
昭和19年3月18日
硫黄島経由でテニアン進出。(永谷 尚二飛曹等)
昭和19年3月21日
「米機動部隊攻撃」
テニアン島より出撃。
【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]
不明
一木利之上飛曹
永谷 尚 二飛曹 右翼燃料槽に被弾
【戦果】
不明
【被害】
不明
昭和19年3月30日
「パラオ方面空母攻撃」
0130 離陸失敗の一式陸攻の為、発進が1時間遅れ、(五二三空:艦爆隊12機とは空中集合が出来なかった)二六一空:零戦30機とペリリュ-島へ向かう。
その間、五二三空:艦爆隊は、パラオ諸島方面へ向かう。
五二三空:艦爆12機は、ペリリュ-島の南西120海里上空にて、空母を索敵中、F6F戦闘機の奇襲を受けて3機自爆6機未帰還、3機がペリリュ-島に着陸(うち2機大破)。
戦闘機隊55機は、(途中1機がエンジン不調でグアム島へ引返し、2機がヤップ島等に不時着。)敵を発見出来ず、ペリリュ-島に降着。(着陸時に8機破損)
昭和19年3月31日
「ペリリュ-島上空艦載機邀撃戦」
0620 零戦46機(二六一空:28機、二六三空:18機)がペリリュ-島上空にて、艦載機多数と交戦。
【編成】
零戦18機
【戦果】
撃墜:F6F戦闘機23機(うち不確実3)〔二六一空:18機(うち不確実3)、二六三空:5機〕 個人戦果の詳細は不明
【被害】
未帰還:15機、地上炎上:2機、大破:1機〔263空喪失〕
【未帰還者】
武藤陳彦 大尉 (海兵69期) ペリリュ-
島田義人 少尉 (予備11期) 〃
菊池 武 飛曹長 (甲飛1期) 〃
長瀬正郎 飛曹長 (甲飛1期) 〃
栗田勝司 上飛曹 (甲飛6期) 〃
田淵武夫 ( 〃 8期) 〃
西本彰吉 上飛曹 (乙飛10期) 〃
芳野定俊 (乙飛12期) 〃
植田正治 ( 〃 15期) 〃
神田秀雄 (丙飛12期) 〃
下瀬 卓 ( 〃 ) 〃
進藤勝治 ( 〃 ) 〃
横地武治 ( 〃 ) 〃
以上13名は、判明した空戦による戦死者。
その他2名[筆者注:調査未完により氏名不祥]
昭和19年4月
生存者は輸送機でサイパンに帰着。本土で代機を受領、グアム島に帰還。
昭和19年4月7日
「グアム島上空B-24爆撃機邀撃」
グアム島に来襲したコンソリデーテッドB‐24四発重爆撃機18機を邀撃。
【編成】
不明
【戦果】
撃墜:B‐24爆撃機2機
【被害】
不明
昭和19年4月26日
グアム島
詳細不明
【戦死者】
安藤清秋 二飛曹 (甲飛10期)
昭和19年5月7日
「グアム島B-24爆撃機邀撃戦」
0955 B‐24爆撃機16機が来襲、零戦21機で邀撃
2機に黒煙を吐かせた。
【編成】
零戦21機
【戦果】
撃破:B‐24爆撃機2機
【被害】
未帰還:3機、被弾:2機、地上被害無し。
搭乗員戦死3名
【戦死者】
本田健一 大尉 (海兵69期)
梶川勝造 少尉 (予備11期)
田中三一郎 飛曹長 (操練43期)
昭和19年5月25日
『ビアク作戦』の為、零戦28機でペリリュ-島に司令以下が移動。
後にハルマヘラ島・ワシレイ基地に移動。
グアム島残留は零戦4機。
サイパン島残留は8(?)機[筆者注:調査未完]。
昭和19年6月8日
毒島芳四少尉以下、井上 武、福島 純、斎藤栄造、宮久昭義、次郎丸 隆、平岡 裕、正田貞四郎、青木腋雄、石田明正、真家和夫、井上聖一郎一飛曹の12名が、中島飛行機太田工場から零戦12機を受領し、一式陸攻の誘導で硫黄島に向かう。
途中、悪天候の為に石田明正一飛曹機が洋上に不時着、行方不明となる。
零戦11機で硫黄島千鳥第一基地に着陸。
機体整備の為、井上 武、正田貞四郎一飛曹の零戦2機が、硫黄島に残留。
【戦死者】
石田明正 一飛曹 (甲飛10期) *悪天候の為、父島付近の海中に突入。
昭和19年6月11日
毒島少尉以下、零戦9機で硫黄島を発進、無事グアム島に到着。
同日
「グアム島迎撃戦」
1320~1500 零戦8機が発進、F6F戦闘機約60機と交戦。
【編成】
零戦8機
第一小隊 第一区隊
一番機 毒島芳四少尉
二番機 編成不明:4名
三番機 次郎丸隆一飛曹 未帰還
四番機 平岡 裕 〃 未帰還
第二区隊
一番機 福島 統 〃 未帰還
二番機 宮久昭義 〃 未帰還
三番機
四番機
【戦果】
撃墜:4機、撃破:3機 個人戦果の詳細は不明
【被害】
未帰還:4機。
【未帰還者】
次郎丸隆一飛曹 (甲飛10期) *空戦による。
平岡 裕 〃 ( 〃 ) *空戦による。
福島 統 〃 ( 〃 ) *空戦による。
宮久昭義 〃 ( 〃 ) *空戦による。
12日
詳細不明
13日
詳細不明
14日
詳細不明
昭和19年6月15日
零戦30機が、ハルマヘラ島よりグアム島に復帰。
昭和19年6月18日
「グアム島迎撃戦」
戦闘機4機(所属不明)で出撃。F6F戦闘機10数機と交戦。
【戦果】
撃墜:3機
【被害】
未帰還:1機
【戦死者】
飯沼一郎 上飛曹 (甲飛8期) グアム
蕪木幾二 〃 (丙飛3期) 〃
宮尾芳雄 ( 〃 12期) 〃
以上3名は、戦死状況が不明。
18日夜
グアム島残存戦力:52機「零戦49(うち爆装零戦19)機、月光1機、艦爆2機」
15~18日
戦闘により喪失:20数機
19日
「機動部隊攻撃」
グアム島より戦闘機42機、陸攻1機、艦爆2機で出撃。途中F6F戦闘機多数と交戦。
【編成】
不明
【戦果】
不明
【被害】
未帰還:10(戦闘機8/艦爆2)機
【戦死者】
竹石 巌 中尉 (海兵71期) マリアナ 戦死状況が不明
24日
「グアム島上空邀撃戦」
グアム第一基地を発進、交戦中被弾。
【戦死者】
青木液雄 一飛曹 (甲飛10期) *空戦により
25日
「グアム島上空戦爆連合邀撃戦」
0800 空襲警報発令。
零戦8機が、グアム第一基地を発進。
第一波30機、第二波30機を邀撃。
【編成】
零戦8機
【戦果】
不明
【被害】
不明
【戦死者】
金本雄一 一飛曹 (甲飛10期) *空戦により
永谷 尚 〃 ( 〃 ) *防空壕被爆の為、爆死
真家和夫 〃 ( 〃 ) *防空壕被爆の為、爆死
昭和19年6月28日
井上 武一飛曹が、七六一空の陸攻でペリリュー島に移動。
昭和19年6月末
稼働機数10数機に回復。
昭和19年7月8日
零戦6機(重松大尉指揮)で、ペリリューに移動途中、ヤップ島付近上空にて、 F6Fの奇襲を受け、ペリリュー島に着いたのは1機(杉田庄一上飛曹)のみ。
【戦果】
不明
【被害】
未帰還:5機
【未帰還者】[筆者注:調査未完、詳細不明]
重松康弘 大尉 (海兵66期) テニアン?
毒島芳四 少尉 (予備11期) 内南洋
以上2名は、戦死状況が不明
その他3名は氏名不祥
グアム残留隊は、その後も出撃したが、7月15日頃に稼働機が無くなり、搭乗員は、陸攻その他で脱出。
昭和19年7月10日付
解隊
昭和19年7月11日
ペリリュ-残留隊8機は、ダバオに撤退。二〇一空に編入される。
昭和19年8月10日付
グアム島基地において勤務中、7月以来、米上陸軍を邀撃交戦中戦死(玉砕)を遂げたものと認定。
【戦死者】
井上聖一郎一飛曹。(甲飛10期)
高山善雄一飛曹。 (甲飛10期)
田北 竜一飛曹。 (甲飛10期)
秋山日出一一飛曹。(甲飛10期)
グアム島守備の航空部隊兵力
第二六三海軍航空隊 准士官以上 19名
下士官兵 479名
第五二一海軍航空隊 准士官以上 7名
下士官兵 552名
第七五五海軍航空隊 准士官以上 23名
下士官兵 1066名
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]
初稿 2007-03-21