京都市空襲と被害
巷間、京都は空襲を受けていなかったと言われているが、それは誤りである。昭和20年に入り3度空襲を受けている。この内に一回は、三菱発動機第14工場(京都)への爆撃である。
ただし、他の都市のように市街地への無差別爆撃は行われていないので、米空軍も最初からその意図は無かったのかもしれない。
【京都市役所発行『京都史誌』より】
空襲年月日 戦災面積 人的被害(人) 家屋損害(戸)
被災者 死者 傷者 全焼 半焼 一部破壊
20年1月16日 1,000㎡ 729 41 48 141 - 175
[715] [35] [133]
20年4月16日 不明 - 2 48 - - 7
[2] [49]
20年6月26日 400㎡ 850 50 300 71 84 137
[1,140] [44] [206]
筆者注:[ ]内は公刊戦史の数字による