日華事変〔陸攻〕 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

日華事変〔陸攻〕

読者の方から、台北松山基地より出撃した九六式陸上攻撃機隊についての質問があったので、お答えいたします。

 

台北基地ということと、九六式陸攻ということですから、多分、渡洋爆撃時と想像されますので、『第一連合航空隊/鹿屋海軍航空隊』だと推測いたします。 

 

以下概略ですが、簡単な戦歴を公開します。 

  

 

昭和12年7月11日付編成

第一連合航空隊/司令官:戸塚道太郎大佐

 木更津海軍航空隊/司令:竹中龍三大佐 〔大村基地→済州島基地へ展開〕

  九六式陸上攻撃機20機 

 鹿屋海軍航空隊/司令:石井藝江大佐 〔台北基地へ展開〕

  九五式艦上戦闘機12機

  九六式陸上攻撃機18機 


「渡洋爆撃」

昭和12年8月14日

1450 鹿屋空の九六式陸上攻撃機18機が、台北基地を発進。

9機が広徳へ、9機が杭州へ攻撃に向かう。

未帰還2機、1機が基隆港内に不時着水。


昭和12年8月15日

鹿屋空の九六式陸上攻撃機14機が、台北基地を出撃。

南昌に向かったが、攻撃成功は8機のみで、被害はなし。
0910 木更津空の九六式陸上攻撃機は20機が、大村基地を発進。

南京飛行場を攻撃。済州島に着陸は16機。被墜4機、損傷6機。

 

昭和12年8月16日

鹿屋空の九六式陸上攻撃機13機が、台北基地を発進。

南京および楊州等の飛行場攻撃。被墜3機。

木更津空の九六式陸上攻撃機9機が、済州島基地を発進。

蘇州飛行場を攻撃。天候不良で帰途1機が朝鮮沿岸に不時着水。


第一連合航空隊 8月14~16日

延べ出撃機数:69機

喪失:9機

大破:13機

被弾:多数

作戦可能機:18機〔鹿屋空:10機/木更津空:8機〕 


昭和12年8月17日

両航空隊は上海方面の陸戦協力を一部兵力で行う。

被害なし。

 

昭和12年8月18日

両航空隊は上海方面の橋梁を爆撃。

 

昭和12年8月19日

午後 鹿屋空の九六式陸上攻撃機7機が、台北基地を発進。

南京の火薬廠、その他を爆撃。被害なし。

夜間 木更津空の九六式陸上攻撃機14機が、済州島基地を発進。

南京の軍官学校、その他を爆撃。被害なし。

 

昭和12年8月20日

攻撃は中止(漢口、孝感を攻撃予定であった)

 

昭和12年8月21日

木更津空の九六式陸上攻撃機15機が、済州島基地を出撃。

9機が楊州飛行場を爆撃、済州島基地に帰投。他の6機のうち4機が未帰還となる。


同日

鹿屋空は黎明と夜間に、九江、孝感等を爆撃。

 

昭和12年8月22~24日

両航空隊の一部で、南京とその付近を夜間爆撃。被害なし。 


昭和12年8月27日

早朝 木更津空が済州島基地を出撃。喪失1機。 

 

昭和12年8月30日

徐州夜間爆撃。


 

9月以降は、いづれ、また。

 

 

 

【参考文献】

「海軍航空隊全史(上・下)」 奥宮正武著 朝日ソノラマ 新戦史シリーズ

「中攻」海軍中型攻撃機 -その技術発達と壮烈な戦歴 巌谷二三男著、原書房

その他は、テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。