軽巡洋艦「川内」/飛行科
軽巡洋艦「川内」/飛行科
所属:第三水雷戦隊(旗艦)
【戦歴】
昭和16年12月19日
第三水雷戦隊(橋本信太郎少将)は、マレー半島東岸コタバル沖にて、侘美支隊の第二次上陸部隊が分乗した5隻の輸送船団を護衛を行っていた。
1205 第三水雷戦隊(橋本信太郎少将)の旗艦「川内」より発進した九四式水上偵察機が、コタバルの北北東10海里の浅深度に潜航中のオランダ潜水艦「O‐20」を発見。同機は高度200㍍より60㌔対潜爆弾を2発投下。黒い影から大量の空気が噴出してきた。〔筆者注:水偵は「第一弾司令塔に命中」と報告したが、後の捕虜の証言によると命中しなかったらしい〕。
1306 第三水雷戦隊の駆逐艦「天霧」 、同 「綾波」、同「浦波」 と第十一駆潜隊の駆潜艇8号も現場に到着、3時間半にわたり爆雷18個を投下した。この爆雷による攻撃で「O‐20」は潜航が不可能となった。
やがて、船団を荷役を終了。第三水雷戦隊も船団を護衛し帰途につくことになったが、橋本少将は損傷した潜水艦がいずれ浮上してくるに違いないと判断、「浦波」を現場に残置させた。
2227 12㌩で付近を警戒中の「浦波」は、右舷前方7㌔に「O‐20」が左に向け、T字型に艦首を横切ろうとしているのを発見。速力を27㌩に上げた。
2236 4㌔の距離から探照灯で照射しつつ、12.7㌢砲の射撃を開始した。敵潜水艦は8.8㌢砲で応戦しつつ、後部発射管より魚雷2本を発射したが命中しなかった。
この間、「浦波」は12.7㌢砲弾34発、爆雷2個を投下した。
「O‐20」艦長:P・G・J・スニッペ少佐は「総員退艦」を命令、艦を放棄した。
昭和16年12月20日
「浦波」は波間で泳いでいる「O‐20」の乗員の士官5名、准士官6名、下士官兵21名を救助、「浦波」の乗組員がボートを下ろし、「O‐20」に乗り込み鹵獲したが、すぐ沈没してしまった。
【戦果】:
撃沈:オランダ潜水艦「O‐20」[協同:九四式水偵/駆逐艦「天霧」/同「綾波」/同「浦波」/駆潜艇8号]
【参考文献】
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[筆者注:調査未完につき今後大幅に加筆・改訂を予定しております]
初稿 2005-05-01