第三〇二海軍航空隊 (4) | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

第三〇二海軍航空隊 (4)

第三〇二海軍航空隊 (4) 

 

昭和19年6月1日
第二警戒配備をとる。(小笠原諸島以南の米軍の動向に対して)
 

同日付
航空兵力(可動/保有)
雷電      10/14機
零戦      19/23機
月光       2/2機
彗星       3/8機
百式司偵    1/1機
九九式艦爆   2/4機
二式初練    2/2機
二式中練    2/2機
九六式輸送機 2/2機

 

昭和19年6月初め
夜戦隊、陸偵隊が移動を開始し、6月上旬に展開完了。

 

昭和19年6月
美濃部大尉が、“零戦”分隊を“零夜戦”分隊に移行。
零戦の夜戦型化を決定。美濃部大尉の着任前に空技廠飛行機部に改造試作させた斜め銃付き零戦をもとに20㍉機銃を胴体左舷、後部固定風防の下縁から40㌢下方に、外側へ30度、上方へ10度傾け取付け、前方固定銃用の九八式射爆照準器のほかに、月光の斜め銃用の三式小型照準器が、前部固定風防の上方左側に取付けられた。

 

昭和19年6月11日
米第58任務部隊(機動部隊)が、マリアナ諸島に来襲。
1940 横須賀鎮守府より警戒指令。
第二警戒配備につく。

 

昭和19年6月12日
0300~0800 第一警戒配備につく。

 

昭和19年6月15日
「東号作戦-本土近海邀撃-」
1730 東部軍指令部が、関東地区に警戒警報を発令。
1819 作戦発動。

 

昭和19年6月16日
第一航空戦配備をとる。

 

昭和19年6月18日
警戒警報が解除。

 

昭和19年6月
【編成】
第一飛行隊(昼戦隊)/雷電隊2個分隊(補用の零戦を含む)
【飛行隊長兼分隊長】

山田九七郎大尉
【分隊長】

宮崎富哉大尉

第二飛行隊(夜戦隊)/月光隊2個分隊
【分隊長】

青木又男大尉
遠藤幸男中尉
              /零戦隊1個分隊(零夜戦)
【分隊長】

荒木俊士大尉
              /彗星隊1個分隊

【分隊長】

森 国雄大尉

陸上偵察機隊(錬成)
【分隊長】

菅原 信大尉


昭和19年7月1日付
航空兵力(可動/保有)
雷電       33/48機
零戦       22/37機
月光       19/26機
彗星        2/6機
百式司偵     1/2機
九九式艦爆    3/3機
二式初練     3/3機
二式中練     4/4機
九六式輸送機  1/1機

 

昭和19年7月
「昼戦隊(雷電隊)」に分隊長要員:伊藤 進中尉(乙飛1期)、分隊士要員:海兵71期の寺村純郎中尉、市村吾郎中尉、上野博之中尉、入江静則中尉、森本和次中尉、6名、岸本 操少尉(予備13前期)等数名が、着任。
「丙戦隊」(月光隊)に分隊士:操縦員の大山裕正少尉(海兵72期)、偵察員の鈴木健治少尉、柴田英夫少尉が、着任。操縦員の菊池敏雄少尉(予備13前期)、坂田喜三郎少尉(予備13前期)が、豊橋海軍航空隊で陸攻の実用機教程を終え中村少尉(予備13前期)、中山少尉(予備13前期)が、着任。
偵察員の吉田健一少尉(予備13後期)、武者 滋少尉(予備13後期)、朝田精一少尉(予備13後期)等が、大井海軍航空隊より着任。
甲飛11期の操縦員の猪頭計三二飛曹が、着任。

「昼戦隊(雷電隊)」に二〇二海軍航空隊よりフィリピン経由で、八木隆次上飛曹(丙飛6期)、西元久男上飛曹(丙飛 期)等が、着任。

 

昭和19年7月4日
「東号作戦-本土近海邀撃-」
0815 横須賀鎮守府より警戒指令。
0840 第二航空戦配備をとる(即時待機戦力/乙戦隊:雷電18機、丙戦隊:月光11機、零戦・零夜戦12機)。
0900 大本営海軍部が作戦を発動。東部軍司令部は関東、奥羽地区に警戒警報を発令。

1950 横須賀鎮守府より翌日黎明の索敵攻撃が下令。

 

昭和19年7月5日
0112 索敵隊の月光5機が、伊豆大島を起点に七度おきに扇状に東南方海上300浬(約560㌔)進出(山辺和男一飛曹/磯村義文飛長ペア参加)。
0130頃 攻撃隊第一中隊・第一小隊が発進。
0145 攻撃隊第一中隊・第三小隊が発進。
0200過ぎ 攻撃隊第二中隊が発進。
故障機2機を除く出撃機は早めに帰投。西村一飛曹は脚故障の零戦で胴体着陸。
雷電16機、零戦26機、月光10機が待機。
【索敵隊編成】

月光5機
 一番線索敵機/操縦・

            偵察・
 二番線索敵機/操縦・
            偵察・
 三番線索敵機/操縦・
            偵察・
 四番線索敵機/操縦・
            偵察・
 五番線索敵機/操縦・
            偵察・
【攻撃隊編成】

月光6機[六番(60㌔)爆弾2発装備] 零戦12機
第一中隊・第一小隊

 一番機/操縦・              天候悪化の為、引返す
       偵察・

 二番機                   300浬進出の後、帰投

 三番機                   主脚の故障の為、引返す
第二小隊

 一番機/操縦・              発動機不調の為、発進取止め
       偵察・

 二番機                   発進取止め

 三番機                   発進取止め

第三小隊

 一番機/操縦・大橋 功飛長     発動機が不調の為、引返し、厚木基地に降着の際、発動機が停止、墜落
       偵察・金子健次郎上飛曹

 二番機 久保沢君雄二飛曹      天候不良の為、引返し、小田原沖に不時着水

 三番機 古寺力雄飛長         天候不良の為、引返し、館山基地付近に墜落 戦死

第二中隊・第一小隊

 一番機/操縦・
       偵察・

 二番機

 三番機                   離陸40分後、天候悪化の為、引返す

第二小隊
 一番機/操縦・

       偵察・
 二番機

 三番機                   単機250浬進撃、悪天候のなか夜間航法をこなし、0610厚木に帰着
第三小隊
 一番機/操縦・
       偵察・
 二番機

 三番機 西村 実一飛曹        天候悪化の為、引返すが、脚故障で胴体着陸 機体大破

【戦果】

無し
【被害】

損失:月光1機[故障墜落] 零戦4機[事故墜落1/不時着水1/機体大破2]
搭乗員戦死:1名
【戦死者】

古寺力雄  飛長  (丙飛12期)


  ?

古用 知  一飛曹 (乙飛16期)  *関東

 

昭和19年7月6日
前日に引き続き第二警戒配備をとる。
雷電16機、零戦14機、月光10機が即時待機。
1300 第三警戒配備に切替える。

 

昭和19年7月8日
0200 第二警戒配備。
雷電16機が即時待機。
0400 第三警戒配備に切替える。

 

昭和19年7月10日頃
7月7日~8日の佐世保、大村方面B-29の夜間空襲を受けた佐世保鎮守府よりの依頼で、夜間防空の為、月光3機を大村基地に派遣した
(以後1ヵ月のあいだB-29の来襲は無かった)。
整備員は陸行(汽車)で大村着。
三〇二空・大村派遣隊長の遠藤幸男中尉が、あわせて佐世保海軍航空隊・大村分遣隊/丙戦隊の分隊長代理役を務め、訓練を指導。

 

昭和19年7月中旬
「丙戦隊(月光隊)」に分隊士:林 英夫飛曹長(甲飛2期)が、横須賀海軍航空隊より試製“極光”(銀河の発動機を誉11型/12型から火星25型に換装、20㍉斜銃 2、同旋回銃1)に搭乗し、着任。

 

昭和19年7月21日付
作戦時に陸軍の防衛総司令官の指揮下に入り、従来の横須賀鎮守府区内、陸軍の指示によって第十飛行師団と協力して区外の防衛に就く事になった。

 

昭和19年7月下旬
「丙戦隊(月光隊)」に予備練15期・操縦員の有山俊明、山崎光男、加藤鐐平一飛曹が、姫路海軍航空隊より着任。

 

昭和19年7月27日
0800 横須賀鎮守府第9回防空訓練が開始。

 

昭和19年7月29日
第9回防空訓練が終了。

 

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-18