攻撃第三飛行隊【第七六二海軍航空隊】①
攻撃第三飛行隊①
『第七六二海軍航空隊』
昭和19年2月15日付
台湾・新竹航空基地にて開隊
【輝部隊】と称された。
【司令】
田中義雄 大佐
【副長】
【飛行長】
【所属】
第二航空艦隊
攻撃第三飛行隊
【開隊】
第七六二海軍航空隊に編入
【装備定数】
艦上爆撃機「彗星」
九九式艦上爆撃機
【飛行隊長】
池内利三 大尉 (海兵65期) 艦攻操縦 19年3月18日~10月14日 台湾沖航空戦 戦死
向井 毅 大尉 (海兵70期) 偵察専修 20年3月10日 ルソン島において戦死
【飛行分隊長】
小川 武 大尉 (海機50期) 艦爆操縦 19年3月29日~11月27日 レイテ方面 戦死
向井 毅 大尉 (海兵70期) 偵察専修 ~ 飛行隊長へ
【飛行分隊士】
百瀬甚吾 中尉 (海兵72期) 偵察専修
井口要之助 中尉 (予学13期) 偵察専修 12月14日 「第六金剛隊」
山田 隆 少尉 (甲飛1期) 艦爆操縦
川畑弘保 少尉 (甲飛1期) 艦爆操縦
森崎英夫 少尉 (甲飛1期) 偵察専修 20年4月24日 ルソン島において戦死
内ノ村 保 少尉 (乙飛6期) 偵察専修
森村 飛曹長 偵察
飯塚徳次 上飛曹 (操練50期) 艦爆操縦 19年7月~20年1月 厚木空付へ
山本 飛曹長 偵察
堀 健二 飛曹長 (甲飛3期) 操縦
【先任搭乗員】
山川新作 上飛曹 (操練48期) 操縦 19年7月8日~
池田
船本 操縦 19年 殉職
谷畑
昭和19年7月頃
愛媛県松山航空基地にて錬成
昭和19年10月1日付
【保有機数】
艦上爆撃機「彗星」 33機(うち可動17機) 国分基地
昭和19年10月初旬
鹿児島県国分基地にて錬成
『捷二号作戦/台湾沖航空戦』
昭和19年10月10日
0925 連合艦隊司令部が「基地航空部隊捷二号作戦警戒」発令。
1204 連合艦隊司令長官が「基地航空部隊捷一号及捷二号作戦警戒」発令。
昭和19年10月11日
1141 二航艦司令長官が「T攻撃部隊」に台湾への進出準備を下令。
同日
夕刻 二航艦司令長官が「T攻撃部隊」は12日沖縄経由で薄暮および夜間攻撃に出撃する事を発令。
第一空襲部隊を編成。
基地航空部隊
第二航空艦隊
第三航空艦隊
第五十一航空戦隊
機動部隊
第三航空戦隊
第四航空戦隊
昭和19年10月14日
「西第一空襲部隊/第一攻撃隊」
偵察機14機[一四一空/四航戦]、戦闘機80機[二二一空/三四一空/四航戦]、彗星艦爆40機[七六二空・攻三/七五二空・攻五] 、銀河陸爆24機[七六二空・攻四〇五・攻四〇六]が、九州各基地を発進。
彗星艦爆18機【飛行隊長:池内大尉】が、国分基地を発進。[七五二空・攻五〈指揮官:山田恭司大尉〉の彗星艦爆も同時に出撃]
1300 第一爆撃隊は、沖縄北飛行場を発進。[*注1)攻三の機数は不詳(18機と推測)/攻五は彗星6機]
悪天候下[筆者注:当日の天候曇り、雲量10、雲高500メートル、視界5キロ]で各編隊は分離したまま、個々に索敵攻撃を行うことを、余儀なくされた。
攻五は、視界不良のため、第一爆撃隊と合同できずに、単独で進撃。
1450 攻五は、編隊行動が困難となったので、2機づつの三個編隊に分離して進撃。
1518 攻五・指揮官機の編隊は、鵞鸞鼻(台湾南端)の七二度一四八浬に空母二、戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦数隻からなる的部隊を発見、ただちに攻撃にうつる。
同編隊が、空母上空に達したとき、先着の第一爆撃隊の彗星艦爆10数機が、超低空にて爆撃を敢行しているのが目撃される。
1525 山田機は、空母を目標に急降下、高度600㍍にて投弾、爆弾は「空母右舷艦橋に命中」と確認[筆者注:正規空母「ハンコック」と推定される]。
この攻撃の直前、他の彗星1機が、大型空母に爆弾を命中させたのを確認している[筆者注:米側の記録によると、これは正規空母「レキシントン」への艦尾至近弾となった]。
攻三は全機未帰還のため、攻撃状況は不明。
【戦果】
詳細不明
《米軍記録》
【損失】
航空機:76機
【損傷】
正規空母「ハンコック」(小破/爆弾命中)
軽巡洋艦「ヒューストン」(大破/魚雷命中)
軽巡洋艦「リノ」(小破/「天山」艦攻の体当りにより)
駆逐艦2隻(小破/機銃掃射と衝突)
【被害】
損失:彗星艦爆18機(推測)[出撃全機が未帰還]
【総合被害】
未帰還:112機(帰投兵力を266機として戦史叢書では算定している)
昭和19年10月17日?
攻三・第二次攻撃隊の彗星艦爆18機【指揮官:小川大尉】が、台湾に向け出撃。
昭和19年10月18日?
攻三・第二次攻撃隊は、ダバオ基地に進出。
昭和19年10月19日
「レイテ方面索敵」
早朝 ダバオ基地を発進。
0820 小川大尉機が、「『タクロバン』の一一〇度一八浬に輸送船団を発見、五列約三〇隻、後方靄霧中さらに船団続行の模様、針路おおむね北西、速力一〇ないし一五節、前方に巡洋艦二、駆逐艦二あり、〇八三〇」と打電。
0850 「『タクロバン』の九四度一三〇浬に空母一、戦艦三、駆逐艦四を認む」と報ずる。
*注1)当日は攻三の出撃機数を34機とする文献もあるが、当時の保有機数からは18機説が妥当と筆者は判断する。
以下、②に続く
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆、改訂を予定しております]
初稿 2005-04-21
第2稿 2005-06-21 搭乗員詳細、その他を加筆