局地戦闘機「紫電」について
本日は一寸趣向を変えて・・・
日本海軍の戦闘機のなかで、筆者が一番好きな機種は局地戦闘機の「紫電」11型です。
海軍の戦闘機といえば、皆さん押しなべて、零戦を筆頭に挙げるでしょう。次に、紫電改か雷電、それから月光と言ったところが通り相場でしょうが、筆者は生来の臍曲がりなのか、『おいおい、「紫電」を忘れてもらっては困りますよ』と思っています。
同じ「紫電」でも21型は「紫電改」と言われ、敗色の濃い戦争末期において、日本海軍戦闘機隊の最後を飾るような大活躍をし、ファンも多く各種書籍でも取り上げられる機会が多いようですが、11型については、台湾沖航空戦から終戦まで奮闘した割には、取り上げられる機会も少なく、あまり活躍していない印象があります。
比島戦以降の術力低下の著しかった各航空隊に少数機づつが配備され、可動率も低い「紫電」11型は、素直な素質を持った零戦に比べると癖も多く、乗りこなせる搭乗員も少なかったのでしょうから、活躍できなかったのは当然だったかもしれません。
しかし、それでは「紫電」は失敗作かと言われれば、筆者は声を大にして『否』と言いたいと思います。失敗だったのは海軍の思想にあったのだと断言できます。名刀といえども使い方次第では鈍刀に劣るということです(まあ、これはこのことに限った事ではないのでしょうが・・・)。
筆者が、零戦よりも「紫電」の方が好きなのは、その可能性にあります。
戦闘機を擬人化するのもおかしなことですが、紫電21型はもう全く別の機種のようになってしまって、洗練されたスマートな次男でしたが、長男の11型は無骨で不器用だが荒削りの魅力とでもいいましょうか。
判り難いかもしれませんが、つまり、大は小を兼ねる、しかし、小は大を兼ねないのです。
もっと判らなくなってしまいましたね。
うーん、なんと言いましょうか、未完の大器だったのだが、大成する前に夭折してしまった。というような感じでしょうか?。
それは筆者が、イギリス空軍のスピットファイアやドイツ空軍のメッサ―シュミットMe109のように、改良に改良を重ねて行って、気が付いたら最初の倍ぐらいに能力を持つに至った。というようになったのでは?と思うからなのです。
紫電改のように胴体の改造や低翼化をしなくても、主翼も工作精度が高く層流翼の持つ空気抵抗の少なさを生かすことが出来ていれば・・・。
誉発動機が額面通りの馬力を出して、一回作戦飛行をしただけで、クランクシャフトの軸受けメタルのケルメットが焼きつかないような材質の良いもので、名人というような整備員が慣らしを済ませ各部を組み上げ、油圧各部に再生油を使わず、燃料は米軍と同じ120オクタンを使用、プラグも粗悪品ではないもの。そうすれば最高速度は350ノット(650キロ)の試算通り出せる。
無線機も送受信が地上・空中でも良好、そして、飛行時間600時間以上の搭乗員を乗せ、レーダー誘導で四国沖の機動部隊から発艦してきたアメリカ海軍のグラマンF6F「ヘルキャット」戦闘機や海兵隊のヴォートF4U「コルセア」戦闘機と同機数で四つに組んで戦ったら・・・
優位や同高度遭遇戦じゃなく、劣位対抗戦でも勝てる!!
そして、発動機が「烈風」に搭載された「ハ43・11型」(離昇出力2,200馬力)に換装された12型(そんなの無い)で、筑波海軍航空隊から戦闘第四〇二、四〇三飛行隊が常用定数36機づつの72機、横須賀海軍航空隊の1個中隊(分隊)16機が、硫黄島から発進してボーイングB29「スーパーフォートレス」4発重爆撃機に随伴してきた、米陸軍のノースアメリカンP51「ムスタング」戦闘機100機と房総半島上空で大空中戦を行ったら・・・
もうこうなると完全に妄想ですね。
『航空戦史妄想ノート』でもこれから書きますか?!
うーん、架空戦記ノベルのように、無責任に有ること無いこと書いてみたいなー!!
【ようするに、自然保護の問題をどうのとか、少女の自立がどうのこうのとかね。そういうのは一切ヌキ!もう。とにかく!!】 『宮崎 駿の雑想ノート』 序章「この本に、資料価値はいっさいありません」より