ブライトリング | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

ブライトリング

昨日、航空事故で亡くなった、ロック岩﨑氏を偲んで、パイロットの必需品である「ブライトリング」について考えたくなった。

元航空自衛隊の戦闘機パイロットで、日本で唯一ともいうべきエアロバテック・パイロットであった岩﨑氏もまたブライトリングの愛用者でもあった。

 

ブライトリングのクロノマットとナビタイマーが我が家には5個ある。

 1940年代モデル 「クロノマット」

 1950年代モデル 「ナビタイマー」

 1994年モデル「オールドナビタイマーⅡ」

 1998年モデル「モンブリラン」

 2002年モデル「ナビタイマー」50thアニバーサリー

である。

「クロノマット」はアメリカの義父から譲って貰ったもの。あとは自分でその時々に色んな理由をつけて買ったものだ。だいたい4年に1個買っている勘定になるが、高い買い物だったので、特別な理由が無ければ買えるような代物ではない。

腕時計というものは、本来は高価であるべき物なのである。

何故なら、腕時計というものは、宇宙の運行そのものを腕に巻いているのと同じ概念でつくられたミクロコスモスであるからだ。

短い針が文字盤を2周すると、地球が1回転した1日とになる。つまり地球の自転を表す(ブライトリングの「コスモノート」だと24時間計なので針が1周である)。それを24等分したのが1時間であり、さらにそれを60等分したのが1分であり、さらにそれを60等分したのが1秒であり、さらにそれを100等分・・・・・・(でも何故秒は100等分なんだろう?)

また、短針が2〈もしくは1〉周することを28~31回繰り返すことで月の満ち欠けを表し、それを365回繰り返すことで地球が太陽の周りを1周する1年となる。

まさに、時というものは宇宙における地球の運行そのものではないか?!

故に、宇宙と繋がっている腕時計が安くあっていいわけは無い(しかし、安ければ安いほういいというのが本音である)。

そうであるならば、瞬間的に今を表すデジタルよりは、やはり、文字盤の上で過ぎ去った時や、これから来る時を感じ取る事が出来るアナログの時計が方が人間の感覚にあっているのではないだろうか。

さて、本題に入ろう。

上記に挙げた時計はすべて「クロノグラフ」と称されている時計である。それはストップウォッチ機能を内蔵した時計一般を表している。

つまり、宇宙の運行とは別に、時間を計測することが出来るのだ。

これは人類にとって画期的な発明である。宇宙の運行をあらわす時というものは誰も逆らえない。それは誰しもに等しく訪れ、誰もそこから逃れることは出来ないのだ。

しかし、その永続的な時というものとは別に、パーソナルな時という概念を時間経過を計測することで、所有することができるのである。

そして、その時間を作り出したのは「神」ではなく自分なのである!!

こんな凄いことがあるだろうか?

また、横道にそれてしまったようだ。本題に入ろう。

筆者がなぜその様な「クロノグラフ」に惹かれたか?

理由は、上記のように述べたような小難しい理由ではない。もっとも単純な理由である。

それはただブライトリングが「カッコよかった」からである。

通常のアナログ時計より二回りも大きく、文字盤のなかにさらに2~3個の計測用の小さなサブダイアルを備えているのである。

男のメカ心を満たすのに、こんな格好なアイテムはほかにあろうか?

その上、ブライトリングにはさらにもう一つ重要な機能、それはパイロットにとって生命線とも言える回転式航空用計算尺(フライトコンピュータ)が、時計の外周リングに装着されているのである。これで自機の燃費、上昇・下降速度、平均速度、距離単位の換算などの、航空航法、フライトプラン作成に必要なすべての計算が可能なものだ。

まさに、パイロットのための計器である。

 

男が身に付けることを唯一許された装身具のなかで、これほど機能に徹して無骨でいながら、エレガントなものがあろうか?

 

ブライトリング-時計ではない、それは計器だ-


ブライトリングを所有するということは、その人の生き様であり、その象徴なのである。


大空に夢を託し、大空に生き、そして大空に還っていったロック岩﨑氏のご冥福をお祈り申し上げます。