横浜海軍航空隊①
横浜海軍航空隊①
【開隊】
昭和11年10月1日
【保有機数】
九七式大型飛行艇24機(開戦時)
昭和16年12月8日当時
第四艦隊・第二十四航空戦隊に所属。(本拠地トラック)
昭和17年1月3日
九七式飛行艇9機がトラックに進出。
昭和17年1月4日
夜間 九七式飛行艇9機でラバウル飛行場の爆撃に出撃。
昭和17年1月
トラックより、ニュ-アイルランド島北東方にある、グリ-ニッチ島に進出。(機数不明)
昭和17年1月25日
九七式飛行艇8機がラバウルに進出したが、敵機の空襲を防ぐ為、ただちにグリ-ン島に移動。
昭和17年2月2日
夜間 九七式飛行艇5機でポ-トモレスビ-爆撃。
昭和17年2月4日
再度ラバウル進出。
昭和17年2月5日
九七式飛行艇5機でポ-トモレスビ-爆撃。
昭和17年2月20日
「ラバウル東方洋上米機動部隊索敵」
早朝 横浜空の九七式飛行艇が索敵の為、ラバウル水上機基地を発進。
0915 九七式飛行艇1機(機長:坂井 登中尉)が、ラバウルの東方約400浬の海域に、空母を含む大部隊を発見と報告。
その後、 敵は空母1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦10隻であると付け加えた。
敵機動部隊発見の報を受け、特設水上機母艦「聖川丸」の零式三座水上偵察機1機(機長:松井由五郎飛曹長)が接触の為、ラバウル水上機基地を発進。
坂井機と共に接触を保ち、攻撃部隊(第四航空隊の九六式陸上攻撃機17機)を米機動部隊に誘導。
【編成】
九七式飛行艇1機 零式水偵1機
横浜空/索敵機
坂井 登中尉 機長
聖川丸/接触機
操縦 松井由五郎飛曹長 機長
偵察
電信
【被害】
未帰還:九七式飛行艇1機 零式水偵1機
【戦死者】
坂井 登中尉 ( 期)
その他 名
昭和17年3月10日
「ラエ・サラモア方面の米機動部隊索敵」
九七式飛行艇3機が発進。
1620 ポートモレスビーの沖、九〇浬の地点で「サラトガ型空母1隻、大巡2隻、駆逐艦5隻」を発見。
昭和17年3月17日
九七式飛行艇3機でツラギを空襲。
以下、②に続く
[筆者注:初稿。調査未完のため、今後、大幅に改訂予定]
【開隊】
昭和11年10月1日
【保有機数】
九七式大型飛行艇24機(開戦時)
昭和16年12月8日当時
第四艦隊・第二十四航空戦隊に所属。(本拠地トラック)
昭和17年1月3日
九七式飛行艇9機がトラックに進出。
昭和17年1月4日
夜間 九七式飛行艇9機でラバウル飛行場の爆撃に出撃。
昭和17年1月
トラックより、ニュ-アイルランド島北東方にある、グリ-ニッチ島に進出。(機数不明)
昭和17年1月25日
九七式飛行艇8機がラバウルに進出したが、敵機の空襲を防ぐ為、ただちにグリ-ン島に移動。
昭和17年2月2日
夜間 九七式飛行艇5機でポ-トモレスビ-爆撃。
昭和17年2月4日
再度ラバウル進出。
昭和17年2月5日
九七式飛行艇5機でポ-トモレスビ-爆撃。
昭和17年2月20日
「ラバウル東方洋上米機動部隊索敵」
早朝 横浜空の九七式飛行艇が索敵の為、ラバウル水上機基地を発進。
0915 九七式飛行艇1機(機長:坂井 登中尉)が、ラバウルの東方約400浬の海域に、空母を含む大部隊を発見と報告。
その後、 敵は空母1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦10隻であると付け加えた。
敵機動部隊発見の報を受け、特設水上機母艦「聖川丸」の零式三座水上偵察機1機(機長:松井由五郎飛曹長)が接触の為、ラバウル水上機基地を発進。
坂井機と共に接触を保ち、攻撃部隊(第四航空隊の九六式陸上攻撃機17機)を米機動部隊に誘導。
【編成】
九七式飛行艇1機 零式水偵1機
横浜空/索敵機
坂井 登中尉 機長
聖川丸/接触機
操縦 松井由五郎飛曹長 機長
偵察
電信
【被害】
未帰還:九七式飛行艇1機 零式水偵1機
【戦死者】
坂井 登中尉 ( 期)
その他 名
昭和17年3月10日
「ラエ・サラモア方面の米機動部隊索敵」
九七式飛行艇3機が発進。
1620 ポートモレスビーの沖、九〇浬の地点で「サラトガ型空母1隻、大巡2隻、駆逐艦5隻」を発見。
昭和17年3月17日
九七式飛行艇3機でツラギを空襲。
以下、②に続く
[筆者注:初稿。調査未完のため、今後、大幅に改訂予定]