水上機母艦「瑞穂」 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

水上機母艦「瑞穂」

水上機母艦「瑞穂」 

 

【竣工】

昭和14年2月25日 

【基準排水量】

10,929トン 

【速力】 

22.0ノット 

【備砲】 

12.7センチ連装高角砲3基 

【搭載機数】

水上偵察機24機 

零式水上観測機12機 九四式三座水上偵察機3機 [開戦時] 

【所属】 

第一一航空戦隊(水上機母艦「千歳」「瑞穂」で構成) 

【司令官】

藤田類太郎少将 

 

 

【艦長】 

【飛行長】 

【分隊長】 

萩原 要   大尉  (海兵62期)                     16年4月  訓練中、殉職 

橋爪桜鯉  大尉  (海兵63期)                     16年10月 訓練中、殉職

伊藤敦夫  大尉  (海兵63期)  二座水偵操縦 16年10月~17年5月  呉空:分隊長へ 

 

 

昭和16年4月 

「艦隊演習」 

【殉職者】

萩原 要  大尉  (海兵62期)  雨天飛行中に行方不明 

 

昭和16年10月25日 

「訓練」 

【殉職者】 

橋爪桜鯉  大尉  (海兵63期) 零観にて訓練中、乗機が空中分解

 

[筆者注:零観は当時、新鋭機で一一航戦に最初に配備されたが、カタパルト射出時に上翼中央部にしわがよる場合があった。それが、今回の空中分解の原因と推定され、全機を航空技術廠に空輸し補強を行う] 

 

昭和16年11月27日 

寺島水道を出港。 

 

昭和16年12月2日 

パラオ着。 

 

昭和16年12月8日~16日 

「フィリピン攻撃」 

 

昭和16年12月8日 

パラオを出港。


「瑞穂」は「千歳」とは別動し、ルソン島南端のレガスピー攻撃。

主に上陸した陸軍の陸戦協力を行う。 

12日までの延べ出撃機数は、零観81機、九四水偵7機。 

 

昭和16年12月 

「ラモン湾上陸作戦支援」 

 

昭和17年1月 

「メナド攻略」 

 

「ケンダリー攻略」 

 

「アンボン攻略」 

 

昭和17年2月 

「マカッサル攻略」 

 

「バンジェルマシン攻略」 

 

「スラバヤ占領」 

 

「チモール島クーパン上陸作戦支援」 

 

昭和17年3月下旬 

母港の横須賀に帰港。 

この間の戦死者は、偵察員1名のみ。 

 

その後、横須賀工廠に入渠し1ヶ月ほど整備を行う。 

 


昭和17年5月1日

ミッドウェー作戦に参加するため、集合地の瀬戸内海に向かう途中、2330頃左舷機械室と発電機室の中間に魚雷1本が命中。 

  

昭和17年5月2日

0330過ぎ、沈没。


【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-25