第一五三海軍航空隊 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

第一五三海軍航空隊

佐世保鎮守府(常設)


第一五三海軍航空隊

【開隊】

昭和19年1月1日付

【定数】

12機(後に24機)

【所属】

第十三航空艦隊・第二十三航空戦隊(昭和19年1月1日付)

第一航空艦隊・第二十三航空戦隊(昭和19年5月5日付)

第一航空艦隊・長官直率(昭和19年7月10日付)

【装備機種】

二式陸上偵察機、百式司令部偵察機
【原隊/原駐地】

新竹航空基地(台湾)
【最終所属】

南西方面艦隊・第二十六航空戦隊
【解隊】

敗戦時


【司令】

山口盛義  中佐     19年1月~2月

猪口力平  中佐     19年2月~7月

高橋農夫吉 大佐     19年7月~11月

和田鉄二郎 大佐     19年11月~




偵察機部隊として編成され、セレベス島のケンダリー基地に配備された。
更に西部ニューギニアのワクデ島へ進出。



19年4月の米軍ホーランジア上陸に対応した。


5月5日付

戦闘第三一一飛行隊(飛行隊長:神埼国雄大尉)が転入。

西部ニューギニア西端のソロン基地に進出、豪北作戦に従事。


【編成】

偵察第一〇二飛行隊

戦闘第三一一飛行隊




昭和19年5月17日、米軍のビアク島上陸により「渾作戦」が発動され、戦闘機隊は連日出撃し、戦力の大半を消耗した。



昭和19年6月1日付

ケンダリー基地 零戦22機

バボ基地     2式艦偵2機、百司偵2機



昭和19年6月7日

ケンダリー基地に後退。


7月10日付

航空隊改編

戦九〇一はミンダナオ島ダバオ基地に後退、戦力の回復を図る。 「戦闘第三一一飛行隊」は転出し、新たに『第二五一海軍航空隊』より「戦闘第九〇一飛行隊」が転入し、フィリピンでの決戦に備えた。


【編成】

偵察第一〇二飛行隊

戦闘第九〇一飛行隊

 編入:昭和19年7月10日 ~昭和19年11月15日 第七五二海軍航空隊へ
 飛行隊長:美濃部正大尉(10月より少佐) 操縦

戦闘第八〇四飛行隊
 編入:昭和19年11月15日~昭和20年1月1日 北東海軍航空隊(乙)へ
飛行隊長:川畑栄一大尉
  分隊長:石田貞彦大尉 操縦
依田公一少尉
岡本 宗 少尉
平田 清 少尉
鈴木淑夫上飛曹

鈴木晃二一飛曹
及川末次飛長

戦闘第八一二飛行隊
 編入:昭和19年11月15日~昭和20年2月10日 第七五二海軍航空隊へ
飛行隊長:徳倉正志大尉
分隊長:江口 進 大尉
分隊士:馬場康郎飛曹長
井戸 哲 上飛曹
西村 實 上飛曹(戦九〇一より転属) 零夜戦
津村国雄上飛曹
池田秀一一飛曹
寺井 誠 一飛曹


戦九〇一は11月までフィリピンで作戦。

戦八〇四は10月から20年1月までフィリピンで作戦。

戦八一二は11月から20年1月までフィリピンで作戦。



昭和19年9月初旬
戦九〇一は米機動部隊攻撃のため「月光」夜戦3機(可動機の3分の1)が出撃、途中グラマンF6F戦闘機編隊と遭遇して空戦となり、全機を喪失。

昭和19年9月12日
ダバオ基地発、セブ基地に向かう途中敵機と交戦
【戦死者】
一木 茂 一飛曹  (甲飛10期)  

9月中にルソン島二コルス基地へ後退。

9月22、23日のマニラ空襲、さらには10月17日の米軍のレイテ島上陸に際して出撃。
また、陸軍のレイテ島増援部隊の逆上陸作戦を支援するためオルモック湾周辺の魚雷艇攻撃を行い、4週間に6隻を撃沈した。

昭和19年11月13日
試飛行のため彗星に搭乗ニコルス基地を発進。
ミンドロ州カプラ島上空において敵機と交戦、自爆。
【戦死者】
伊波春郎  上飛曹  (甲飛10期)
河野光雄  上飛曹  (甲飛10期)  


昭和19年12月中旬
可動「月光」は戦八〇四、八一二の2隊合せても10機前後。

戦八〇四と戦八一二はマニラ南部のニコルス基地に展開(戦九〇一よりの転勤者を含む)、一部をセブ基地に派遣していた(戦八〇四飛行隊長:川畑栄一大尉が指揮)。
両隊は共同で単機による12月15日に米軍が上陸したミンドロ島への夜間攻撃を行った。

昭和19年12月22日
主力(戦八一二が主体で飛行隊長:徳倉正志大尉が指揮)は「月光」数機でクラーク中飛行場に移動。ニコルスには一部が残留(戦八〇四が中心)。

昭和20年1月6日
未明 リンガエン湾偵察のため、「月光」1機(爆装:二十五番)が出撃。もやのため視認は出来なかったが、激しい対空砲火により湾内に艦船群が存在しているのは確実と打電。
操縦:石田貞彦大尉

同日
クラーク中飛行場の可動「月光」4機
夜8時以降、リンガエン湾に対する攻撃を開始。
第一波 4機のうち1機が蛸壺に主脚がはまり破損したため、3機で出撃。
第二波 3機出撃(操縦:波多野茂二飛曹/有木利夫飛曹長機、井戸 哲上飛曹機と他1機)し、攻撃終了後、有木飛曹長機は台湾・高雄基地へ向う。井戸上飛曹機は攻撃終了後、台南基地に向う。他1機も台湾に脱出。


昭和20年1月下旬以降、飛行隊は台湾へ後退、本部および地上員は陸戦隊に編入され、クラーク西方の山中に抗戦した。
クラーク防衛海軍部隊・第十六戦区 七六三空
                      一五三空
                      一〇二一空
                      北韮空
                      三〇二設


昭和20年3月17日付
トラック島より内地期間途中、硫黄島に不時着。南西諸島空に仮入隊中、硫黄島にて玉砕。
【戦死者】
歳国 鼎   上飛曹  (甲飛10期)


昭和20年4月24日付

フィリピン・クラーク地区にて戦死認定

【戦死者】

和田鉄二郎 大佐  (司令) 

加藤信耀  少尉  (予備14期〈竜大〉/飛行要務専修)

西沢正八郎 少尉  (予備14期〈東北大〉/飛行要務専修) 

松崎敏郎  少尉  (予備14期〈法大〉/飛行要務専修) 

吉村 耕   少尉  (予備14期〈京大経〉/飛行要務専修)



[筆者注:調査未完、今後大幅に加筆、改訂予定]



初稿  2005/02/03

第2稿 2010/06/05 一部加筆