第一四一海軍航空隊
呉鎮守府(常設)
第一四一海軍航空隊
【開隊】
昭和19年3月15日付
【装備機種】
陸上偵察機・夜間戦闘機
【原隊/原駐地】
大分航空基地(大分県)
【最終所属】
南西方面艦隊・第二十六航空戦隊
【解隊】
敗戦時
【配属飛行隊】
偵察第三飛行隊
偵察第三飛行隊
【飛行隊長】
武田茂樹 大尉 (海兵65期) 操縦 19年3月下旬~
昭和20年4月24日
フィリピン・クラーク地区にて戦死認定
【戦死者】
岡 孝 少尉 (予備14期〈明大〉/飛行要務専修) 一四一空
小原隆夫 少尉 (予備14期〈明大〉/飛行要務専修) 一四一空
櫛田 博 少尉 (予備14期〈関大〉/飛行要務専修) 一四一空
林 千万樹 少尉 (予備14期〈中大法〉/飛行要務専修) 一四一空
広山茂樹 少尉 (予備14期〈慶大〉/飛行要務専修) 一四一空
【特記事項】
三重航空基地で編成され、第一航空艦隊、新編第二航空艦隊、改編第二航空艦隊と短期間に所属が変わった。
昭和19年10月、台湾に進出して「台湾沖航空戦」に参加。同月22日、フィリピンのニコルス基地に進出して、「レイテ航空総攻撃」を増援した。その出撃範囲は、マリアナ、ウルシー方面の敵情偵察、米機動部隊の索敵、リンガエン湾周辺の偵察など多方面にわたった。
地上員をフィリピンに残し、飛行機隊のみ台湾に後退、地上員は陸戦配備になり最後まで地上戦闘を実施した。
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]
初稿 2005-02-03