第七五五海軍航空隊 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

第七五五海軍航空隊

佐世保鎮守府所管(常設)

第七五五海軍航空隊

【開隊】
昭和17年11月1日付、『元山海軍航空隊』を改称。
【装備機種】
陸上攻撃機
【原隊/原駐地】
元山航空基地(朝鮮咸鏡南道)
【最終所属】
第一航空艦隊/第二十二航空戦隊
【解隊】
昭和19年7月10日

【整備分隊長】

小林公三 中尉  (海機50期)  10月6日マキン島北方マロエラップ島付近にて戦死

 

【特記事項】
昭和17年末、マーシャル諸島ルオットに配備。

 

昭和18年10月6日、ウエーキ島は米機動部隊の艦載機約400機の攻撃と艦砲射撃を受け、七五五空が派遣した一式陸攻44機を喪失した。

整備分隊長の小林中尉はマーシャル諸島マロエラップ基地よりウエーキ島に被害状況調査のため一式陸攻で向かい、その帰途、乗機が敵戦闘機の攻撃を受け被弾、マロエッラプまでたどり着いたが同島環礁内海上に墜落、戦死した。


「ギルバート諸島沖航空戦」

七五五空はブラウン、ルオット、マロエラップ、ナウルに40機が配備されていた。


昭和18年11月19日

ルオットを発進した七五五空の一式陸攻が、米艦隊を発見した。 

 

昭和18年11月20日

索敵に一式陸攻16機が発進、全機未帰還となる。

 

昭和18年11月21日

「第一次ギルバート諸島沖航空戦」

七五五空の一式陸攻14機がルオットを、5機がマロエラップを発進。

タラワの西方に米機動部隊を発見、戦闘機群と交戦しつつ全機が雷撃を行う。

【戦果】

轟沈:空母2隻、駆逐艦1隻[大本営発表による]

《米軍記録》

損傷:軽空母「インディペンデンス」 [魚雷1本が命中]

【被害】
損失:一式陸攻7機



昭和18年12月3日

テニアンに後退(所属の第二十二航空戦隊が第二十四航空戦隊と交代)。
のち、「あ」号作戦に参加。
マリアナ沖海戦後、グアムで解隊。


【参考文献】  

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[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]
 

初稿  2005-02-02

第2稿 2005-05-27