第九五四海軍航空隊
佐世保鎮守府所管(特設)
第九五四海軍航空隊
【開隊】
昭和17年11月1日付 『第三十一航空隊(初代)』を改称
【装備機種】
艦上爆撃機、(艦上攻撃機)、水上偵察機
【原隊/原駐地】
指宿航空基地(鹿児島県)
【最終所属】
第三南遣艦隊
【解隊】
昭和20年1月1日付、『第九〇一海軍航空隊』に統合された。
【特記事項】
フィリピン・マニラ湾出入りの艦船、船団護衛とフィリピン群島の対潜哨戒にあたっていたが、昭和19年末のフィリピン方面の航空戦で機材を消耗し解隊。
【戦歴】
昭和18年9月28日
第二南遣艦隊の旧式給油艦「早鞆」を護衛中の第三南遣艦隊の河用砲艦「唐津」は、フィリピン中央部パネイ島付近イロイロの西方42海里で、洋上で油が洩れているのを発見、その地点に爆雷を投下した。
0915 報告を受けた九五四空の九七式艦攻2機が現場の到着、付近を捜索する。
0945 「唐津」は浅深度の潜水艦を発見したが、その後見失う。
1120 艦攻1機が燃料補給のため離脱、残り1機はそのまま上空監視を続行。
1205 艦攻は再び潜水艦を発見。
1215 対潜爆弾を投下。
1259 再度爆撃すると黒いディーゼル油が噴出した。
先に離脱した艦攻が戻って、再度爆撃。その後、「唐津」と共に攻撃を続行した結果、油はますます噴出して、撃沈は確実となった。
これが「シスコ」の最後と思われる。艦長:J・W・コー少佐以下全員が戦死。
昭和18年10月1日
第三南遣艦隊の特設掃海艇「第18長運丸」と第三十一根拠地隊の「興嶺丸」の2隻が現場付近に再度、爆雷攻撃をおこなった。
【戦果】
撃沈:米潜水艦「シスコ」 [協同:九七式艦攻/河用砲艦「唐津」]
*「シスコ」による日本艦船の被害は無い。
昭和20年5月5日
【戦死者】
春成 豊 少尉 (予備14期〈立命大〉/飛行要務専修) *マニラ
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完、今後大幅に加筆、改訂を予定]
初稿 2005-02-03