第二河和海軍航空隊
第二河和海軍航空隊
昭和19年4月1日付
知多半島の河和航空基地にて開隊(小松島海軍航空隊・知多分遣隊[昭和18年12月1日設置の水偵の操縦と偵察の実用機教程]を改称)。
水上機操縦教育を担当
飛行術練習生教程を実施。
【司令】
磯部太郎 大佐
【飛行長】
武田茂樹 少佐 (海兵65期) 20年8月3日~
【飛行隊長】
西村惣一郎 大尉 (予備4期) 飛行長代理兼務[8月3日迄]
【先任分隊長】
中山達二郎 大尉 (海兵71期)
【分隊長】
山本 穆 大尉 (予備8期) ~20年4月下旬 九五一空/分隊長へ転勤
飯塚進作 中尉 (乙飛2期) 19年10月~
【分隊士】
須藤正信 少尉 (操練 期) ~20年1月19日「名古屋上空B-29邀撃戦」にて戦死
上原恵次 中尉 (予備13期)
【主要装備機】
零式水上偵察機 九五式水上偵察機 九四式水上偵察機 九三式水上中間練習機 二式水上戦闘機 水上戦闘機「強風」
昭和19年5月25日
甲種飛行予科練習生13期鹿児島空31名が入隊。飛練38期教程を実施。
昭和19年7月25日
甲種飛行予科練習生13期土浦空前期106名が入隊。飛練39期教程を実施。
甲種飛行予科練習生13期鹿児島空・小富士分遣隊100名が入隊。飛練40期教程を実施。
昭和19年8月
水上戦闘機「強風」11型3機が配備される。
昭和19年9月20日
甲種飛行予科練習生13期三重空・奈良分遣隊77名が入隊。飛練41期教程を実施。
昭和20年1月19日
「名古屋地区B‐29邀撃戦」
「強風」水戦2機が、第二河和基地を発進。
兵庫県明石の川崎航空機工場を主目標に、米第73爆撃航空団のB29-62機が投弾、その後東進し名古屋上空で南に変針、太平洋に抜けて行く梯団を熱田上空高度8,000㍍にて捕捉。
飯塚中尉機は前側上方より20㍉機銃と7,7㍉機銃の斉射で一撃、降下時の加速を利用して反転、離脱の後上昇し、後ろ下方より後続の敵機に第二撃を加える。命中弾による戦果は未確認のまま編隊よりやや遅れて離脱するB29を見送る。
攻撃終了後、飯塚中尉は、須藤少尉と編隊を組んだ際に須藤少尉機より煙りが噴いている目撃。[被弾か発動機故障か原因は不明]横滑りで煙りを消す事を指示したが、なおも煙りは噴き出るので、飯塚中尉は指で「脱出せよ」の信号を送ると、須藤少尉は指を一本立てて「了解」を示した後、機外に脱出、落下傘降下した。飛行機は燃えながら名鉄・河和駅の裏の水田に墜落。須藤少尉は半田沖に着水。隊では内火艇を出して救助に向かわせたが、海上に浮いた須藤少尉は死亡していた。外傷はほとんど無く、死因は開傘時のショックによるものと推定された。
【編成】
水上戦闘機「強風」11型2機
一番機 飯塚進作中尉
二番機 須藤正信少尉
【戦果】
不明
【被害】
損失:「強風」水戦1機[落下傘降下]
【戦死者】1名
須藤正信少尉 (操練 期)
昭和20年1月23日
「名古屋地区B‐29邀撃戦」
昭和20年2月15日
「名古屋地区B‐29邀撃戦」
飯塚中尉が、准士官、下士官を率いて2~3機の「強風」水戦で邀撃に上がったが、いずれも確実な戦果は得られなかった。
昭和20年1月~2月頃
先任分隊長:中山大尉が、二式水戦5~6機でB‐29を二回邀撃し、やはり戦果のないまま帰還。
追撃してもB29のほうが速く、二式水戦などは高度9,000㍍以上では、機首上げの姿勢でやっと浮いていられる状態だった。
昭和20年2月
零式水上観測機及び九五式水上偵察機による特別攻撃隊を編成。山本大尉、ついで中山大尉を長として、夜間訓練を行う。
その後
B29による攻撃が夜間無差別空襲に移行したため、「強風」水戦による邀撃は中断した。
昭和20年7月
飛行隊長:西村惣一郎大尉は、本土決戦時に水上戦闘機「強風」で二八号ロケット爆弾による夜間銃爆撃を行う案を司令:磯部太郎大佐に進言。司令の栽下を受け西村大尉は木更津の第三航空艦隊司令部に赴いた。特攻攻撃に賛同しきれない司令長官:寺岡謹平中将は正攻法の西村大尉案をただちに受入れ、人事局での人員の手配を命じたうえ、整備参謀に「強風」を集めるように指示した。
昭和20年7月中旬から下旬
寺内中将の指令により、各航空隊より合計30~40機の「強風」が、第二河和基地に空輸されてきた。
「強風」の翼下にロケット爆弾用のレールを装着、昼夜の離着水訓練が始まる。
「強風」夜間銃爆撃隊は予備13期と下士官の操縦員で構成され、西村飛行隊長の指示のもと、中山大尉が指揮官となる。
【指揮官】
中山達二郎大尉 (海兵71期)
上原恵次中尉 (予備13期)
「強風」銃爆撃隊の目標は11月上旬に九州へ上陸すると推定される米軍で、西村大尉は瀬戸内海の屋代島に中継基地を設営させた。
昭和20年7月下旬
零観の特攻隊が、佐賀県唐津湾の深江基地に進出[1期予備生徒の操縦員と13期予備学生の偵察員]。
昭和20年8月3日
武田茂樹少佐が飛行長として、第一七一海軍航空隊・偵察第一一飛行隊長より着任。
昭和20年8月7日
深江基地に飯塚大尉が派遣されて零観特攻隊の指揮をとった。
【備考】
昭和20年8月15日現在
第三航空艦隊・第一三航空戦隊に所属
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆・改訂を予定しております]
初稿 2005-01-27
第2稿 2005-07-23