関東海軍航空隊
関東海軍航空隊
【開隊】
昭和19年7月10日付
関東地区の航空基地整備が主任務
第三航空艦隊附属
【司令】
市川 重 大佐
【整備長】
堀田 陽 少佐 (海兵65期)
【分隊長】
山之内 大尉 (高等商船)
【分隊士】
部谷孝之 中尉 (整備予学7期) ~20年6月30日 東海空へ転勤
昭和20年1月
戦闘第九〇一飛行隊[夜間戦闘機]は、所属航空隊の司令部が木更津基地と遠く離れているため、空地分離制度にならい、藤枝基地を管理する乙航空隊・関東航空隊〔司令部・木更津基地〕の指揮下に入り、関東空司令の代行指揮を受けることになる。
関東空の管轄の各航空基地にはいずれも甲航空隊の司令部が所在するので、関東空司令:市川 重大佐は、指揮下に入った唯一の飛行隊が在隊する藤枝基地に司令部を移動させた。
昭和20年2月10日付
戦闘第八一二飛行隊が、関東空の指揮下に入る。
昭和20年2月16日
黎明 藤枝基地に在隊中の横須賀航空隊の一式陸攻が対潜哨戒のために発進、敵艦隊の一部を発見の後、F6F戦闘機群に襲撃され、未帰還となる。
1000 三航艦司令長官:寺岡謹平中将が関東空司令に対し、索敵攻撃(区域-藤枝の150~180度250浬)、夜間戦闘機は可動全力で薄暮攻撃の準備を下令。
午後 索敵に出た戦闘第九〇一飛行隊の川副正夫少尉搭乗の零戦が未帰還(敵機と交戦した模様)
昭和20年2月17日
「藤枝基地空襲」
0940~F6F戦闘機とSB2C艦爆20機が来襲。
「彗星」7機、零戦1機、九九式艦爆1機、九三式中練1機が炎上。
地上施設では、指揮所、格納庫、兵舎が破壊され、戦死者は戦八〇四:林 武夫二飛曹、戦九〇一「彗星」整備分隊:横溝上整兵、関東空の加藤徹男二整兵の3名[他に、戦八〇四?:河嶋一飛曹も被弾戦死といわれる]。
昭和20年3月7日付
三航艦司令部は両飛行隊をこれまで通り、関東空司令の指揮下に置くよう区処。
昭和20年3月20日付
戦闘第八〇四飛行隊が、関東空の指揮下に入る。
夜戦隊(戦九〇一/八一二/八〇四)は、乙航空隊・関東海軍航空隊司令の指揮下にはいり、藤枝基地にて錬成を開始した。
昭和20年6月30日付
関東空の担当区域が変更。
藤枝基地の夜戦隊(戦九〇一/八一二/八〇四)は、新編された乙航空隊・東海海軍航空隊司令の指揮下に入る。
昭和20年8月15日現在
第三航空艦隊所属
【司令官】
高橋雄次 少将
【整備長】
[筆者注:調査未完]
[初稿。今後大幅に加筆、改訂予定]