大湊海軍航空隊 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

大湊海軍航空隊

大湊海軍航空隊 

 

【開隊】

昭和8年11月1日付

【装備機種】

水上偵察機16機

陸上攻撃機16機

艦上戦闘機

【所在地】

青森県下北郡

【最終所属】

大湊要港部

【解隊】

昭和19年12月15日付

『第九〇三海軍航空隊』に統合された。


【所属】

大湊警備府

 長官:井上保雄 中将 (海兵38期) 18年4月1日~

 


【司令】

【副長】

【飛行長】

【飛行隊長】


  

昭和17年10月11~13日

「岩手県宮古南方対潜攻撃」

〔10月11日〕

0740 宮古の南方で、大湊空の九四式三座水上偵察機が、浅深度にいる潜水艦を発見。

1130 横須賀鎮守府部隊の掃海艇17号が、爆雷を投下。

〔10月12日〕

山田湾より三陸部隊が現場で対潜掃討を行う。第二五掃海隊が爆雷15個を投下。

〔10月13日〕

0500 京津丸(1,344トン/阿波国共同)が付近海域で魚雷を発見し、爆雷を投下した。

横須賀防備戦隊は、第一駆逐隊の「野風」(大湊)、駆潜艇33号、34号(横須賀防備戦隊)を現場に急行させた。

現場を掃討。爆雷攻撃を行う。その際、潜水艦は損傷。

《米軍記録》

損傷:潜水艦「ノーチラス」 


昭和18年4月3日

「八戸沖対潜攻撃」

1700頃 八戸沖を南下する第二四〇八船団の上空を水偵にて哨戒中、船団前方約1浬の海面に油が流出しているのを発見。着色マーカーを投下し、西南に向かい2~3ノットで油が移動しつつ湧き上がっているのを確認した。

1712 油紋の前方100メートルとその前方150メートルに六番対潜爆弾を各1発投下。

水偵は船団護衛中の敷設艦「白神」を現場に誘導、「白神」は爆雷9発を投下。さらに9発を投下すると多量の重油が湧出してきた。

1719 「白神」は5発の爆雷を投下。駆けつけてきた特設駆潜艇「文山丸」が、「白神」の3回目の投下位置の北方と東方に各3発の爆雷を投下。 

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/敷設艦「白神」/特設駆潜艇「文山丸」の協同による]

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ピッケレル」(艦長:A・H・アルストン少佐以下74名全員が戦死した)

*「ピッケレル」は、駆潜艇13号、咸興丸(2,929トン)、立山丸(1,996トン)を沈めている。 


昭和18年6月16~24日

「白糖灯台沖対潜攻撃」 

〔6月16日〕

三陸白糖灯台沖にて、大湊空の飛行機が潜没している潜水艦を発見。水偵6機と特設駆潜艇「水上丸」の協同攻撃により、大量の油の湧出を確認した。

〔同日〕

岩手県釜石沖にて、第二六一五船団(3隻)を護衛中の駆逐艦「野風」と水偵の対潜攻撃の記録もある。 

〔6月22日〕

1045 大湊空の水偵が、白糖灯台沖にて船団護衛中、船団前方に移動する油泡を発見。この油泡の前方80~100メートルに対潜爆弾2発を投下。

応援の水偵が到着、対潜爆弾を投下した。

午後 敷設艦「白神」と特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が到着し、爆雷を投下した。

その後、特設監視艇「海和丸」(99トン)、特設駆潜艇「水上丸」(97トン)、特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が到着、さらに爆雷攻撃を行う。

夕方 重油の湧出点は移動を停止した。

〔6月23日〕

「白神」、「水上丸」が現場に到着。

0845 爆雷投下

0925 再度、爆雷を投下。

水偵により投下された対潜爆弾は59発、水上艦艇による爆雷投下は66発。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/敷設艦「白神」/特設監視艇「宮丸」/特設監視艇「海和丸」/特設駆潜艇「水上丸」/特設駆潜艇「文山丸」による協同により] 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ランナー」(艦長:J・H・ブーランド少佐以下78名全員が戦死)

*「ランナー」の戦果は貨物船1隻のみと推定される。

 

昭和18年9月17~18日

「尻矢崎沖対潜攻撃」

〔9月17日〕

大湊空の水偵が、青森県北東端の尻矢崎沖にて油紋を発見。艦艇(大湊警備隊・尻矢崎部隊と推定される)と協同攻撃を行い、多量の油の湧出を確認。

〔9月18日〕

敷設特務艇「葦崎」が現場に爆雷を投下。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵と艦艇(大湊警備隊・尻矢崎部隊と推定される)との協同による] 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ポムパノウ」(W・M・トーマス少佐以下全員が戦死) 

*「ポムパノウ」の戦果は、「あかま丸」(産業設備営団・民需品)ほか商船3隻。
 

昭和18年9月18日

「小樽沖対潜攻撃」
小樽の北方で大湊空の水偵が潜水艦を攻撃。
[筆者注:詳細不明、当時、日本海に侵入していた米潜水艦は「パーミット」「プランジャー」「レーポン」の3隻] 

 

昭和18年10月11日

「宗谷海峡対潜攻撃」

陸軍の設置した砲台(15センチカノン砲4門)が、浮上航行中の潜水艦を発見、射撃を加える。

0920 稚内から発進した大湊空分遣隊の水偵19号機が、現場海面に幅5メートル、長さ10メートルの油が浮流しているのを発見。旋回しつつ哨戒中に油の中に司令塔らしき黒い影を発見。

0945 対潜爆弾1発を投下。船体およびスクリューの白い航跡を確認。

さらに1発を投下。気泡と油が湧出した。

現場に到着した水偵2号機も浅深度の潜水艦を発見し、4発の対潜爆弾を投下。油が湧出するのを確認。

1025 19号機が再度飛来。

1034 20号機が飛来、対潜爆弾を投下。

1145 19号機が駆潜艇15号を現場に誘導。

1203 駆潜艇15号が爆雷9個を投下。

1207 浮上してきた重油の北西200メートルにさらに7個を投下。

1218 爆雷1個を投下。

1221 駆潜艇43号も応援に到着し、爆雷6個を投下。

1300 水偵6号機が対潜爆弾2発を投下。

1330 掃海特務艇18号も到着し、爆雷2個を投下。

~1600頃 爆雷投下(3隻合計)16回:63個、投下した六番対潜爆弾40発。

夜間 幅60メートル、長さ3浬の油帯が残留した。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/駆潜艇15号、43号/掃海特務艇18号の協同による] 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ワフー」(ダドレィ・W・モートン中佐以下80名全員が戦死) 

*「ワフー」は、商船20隻撃沈(隻数6位/トン数23位)

 

昭和19年6月14~18日

「三陸沖対潜攻撃」 

〔6月14日〕

八戸の北方海域で、「相模川丸」(6,886トン/東洋海運)が雷撃を受ける。被害は不明だが沈没はしなかった。大湊防備部隊、北三陸部隊、大湊空が協同して潜水艦を探知、追跡。白糖灯台の北東7.7浬付近の機雷原に追い込んだ。

追跡艦艇は付近で、コルクや筏の破片を発見、幅50メートル、長さ5,200メートルの油帯を確認、撃沈確実とした。 

〔6月18日〕

0700 北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が、物見崎南西10キロに南方へ幅100メートル、長さ2キロの油帯を発見。

0830 大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。

0849 「宮丸」が爆雷を投下。

1100 水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。

1300 「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧出してきた。

1550 応援に来た特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が爆雷を投下。

2010 幅100メートルにわたり油が広がってきた。

「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」]

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ゴレット」(艦長:J・S・クラーク中佐以下82名全員が戦死)

*「ゴレット」による撃沈戦果はない。



【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-04-04

第2稿 2005-06-21 大幅に加筆