横須賀海軍航空隊 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

横須賀海軍航空隊

横須賀海軍航空隊

大正5年4月1日
開隊

海軍で最も古く、敗戦まで存続した伝統ある航空隊である。
教育・錬成を担当。
各機種の航空戦技の研究、新型機の実用実験を担当。
高等科、特修科等を中心とする航空高等教育を担当。
 
 
【飛行隊長】 
高橋 定   大尉 (海兵61期) 艦爆操縦 18年8月~11月 任海軍少佐
高橋 定   少佐 (海兵61期) 艦爆操縦 18年11月~20年7月 五航艦・三二航戦:航空参謀へ
 
【分隊長】
高岡 迪   大尉 (海兵60期) 艦爆操縦 13年11月~14年11月 「蒼龍」:分隊長へ
山田九七郎 大尉 (海兵64期) 二座水偵操縦 18年10月~19年3月 三〇二空:分隊長へ
【隊付】
高岡 迪   中尉 (海兵60期) 艦爆操縦(艦攻より転科) 11年11月~12年3月 霞ヶ浦空:隊付兼教官
阿部平次郎 中尉 (海兵61期) 偵察専修 11年11月~12年4月 「加賀」乗組へ  
高木清次郎 少尉 (海兵64期) 偵察専修 14年3月~6月 任海軍中尉
高木清次郎 中尉 (海兵64期) 偵察専修 14年6月~8月 鎮海空:隊付へ 

昭和5年
飛行予科練習生の教育を担当(~14年)

昭和5年6月1日付
予科練習生1期 79名が入隊

昭和6年6月1日付
予科練習生2期128名が入隊

昭和7年6月1日付
予科練習生3期157名が入隊

昭和8年5月1日付
予科練習生4期149名が入隊

昭和8年4月8日
「群馬」 [筆者注:死亡原因不明/調査未完]
白浜重豊     (海兵48期)

昭和9年6月1日付
予科練習生5期220名が入隊

昭和9年12月26日
「?」 [筆者注:死亡原因・場所不明/調査未完]
田中武義     (操練11期)

昭和10年6月1日付
予科練習生6期187名が入隊

昭和11年6月1日付
予科練習生7期204名が入隊

昭和11年11月16日
「?」 [筆者注:死亡原因・場所不明/調査未完]
藤井亮吉     (操練4期)

昭和12年6月1日付
乙種飛行予科練習生8期218名が入隊

昭和12年9月1日付
甲種飛行予科練習生1期250名が入隊

昭和13年4月1日付
甲種飛行予科練習生2期250名が入隊

昭和13年6月1日付
乙種飛行予科練習生9期200名が入隊

昭和13年9月16日
「横須賀」
前日の横須賀海軍航空隊において、夜間防空演習中にサーチライトに幻惑され墜落し、重傷を負い翌日死亡した。
【殉職者】
古賀清登空曹長  (操練16期)*撃墜:13機(公認)

昭和13年10月1日付
甲種飛行予科練習生3期260名が入隊

昭和13年11月1日付
乙種飛行予科練習生10期240名が入隊

昭和16年4月17日
「横須賀」
12試艦上戦闘機のテスト飛行中、殉職。
【殉職者】
下川万兵衛大尉  (海兵58期)
《昭和一六年四月一七日、横須賀海軍航空隊戦闘機隊分隊長下川萬兵衛大尉は、前日の空母加賀戦闘機隊分隊長二階堂易中尉機(バランスタブ付二一型・三菱第一四〇号機)の補助翼飛散事故の原因研究のため、三菱第一三五号機(バランスタブ付二一型)でテストを行っていたが、急降下中、補助翼フラッターのため墜落、殉職した。》
(日本軍用機航空戦全史 第五巻「大いなる零戦の栄光と苦闘」秋本 実・著より一部引用した)
昭和17年3月28日
「横須賀」 [筆者注:死亡原因不明/調査未完]
鶴岡 光     (操練56期)
木村安三     (甲飛4期)

18年2月16日
「横須賀」 [筆者注:死亡原因不明/調査未完]
浜崎孝行     (丙飛6期)

昭和18年9月12日
「内地・事故」 [筆者注:調査未完]
久保田亘飛曹長 (操練36期)〈蒼龍〉
横田艶市上飛曹 (操練43期)〈一二空→瑞鶴〉
吉沢 真上飛曹  (乙飛6期)

昭和18年12月8日
「?」 [筆者注:死亡原因・場所不明/調査未完]
眞壁巧保      (乙飛15期)

昭和19年 2月
横須賀航空隊は実戦配備に付く。

昭和19年2月下旬
第一航空艦隊の第一次マリアナ進出時に陸上攻撃隊二個中隊がマリアナに派遣され、3月末にはパラオ沖に出撃した。

昭和19年3月15日
「厚木・事故」 [筆者注:事故原因不明/調査未完]
【殉職者】
井汲一夫上飛曹  (乙飛10期)〈五八二空〉

昭和19年3月27日
「三浦半島・事故」
【殉職者】
宮崎 薫 一飛曹  (丙飛3期) 

昭和19年5月
分隊長:三森一正大尉が着任。
乙戦隊(雷電隊)を編成予定。
局地戦闘機における対戦闘機戦法の開発を試みる。

昭和19年6月
「あ号作戦」計画に従い、横空戦闘機隊もマリアナ諸島進出が決定。
零戦は定数以上あったが、後詰で硫黄島に進出予定の雷電は、一個分隊(四個小隊前後)も揃わず、搭乗員も足りなかった。無理に人員・器材を集めても、米海軍の艦戦には勝てないと三森大尉は判断、昼戦は全機とも零戦を使用。

昭和19年6月17日
八幡部隊の硫黄島進出は、天候不良の為に一式陸攻2機のみ。
横須賀海軍航空隊・南鳥島派遣隊の一式陸攻が硫黄島に移動。

昭和19年6月18日
1602 連合艦隊は八幡空襲部隊に対し、20日攻撃隊主力をもってマリアナ方面の米空母を攻撃した後グアムに帰投すべきこと、以後は第五基地航空部隊(第一航空艦隊)に編入すべきことを命令(連合艦隊電令作第一七九号)した。

昭和19年6月19日
「マリアナ方面索敵」
0500頃 陸攻8機が、硫黄島を発進。
索敵線8本、650浬進出で行われたが米機動部隊の主力を捕捉出来ず、わずかにサイパン東方の敵情を得るにとどまった。

同日
硫黄島に進出した機数は、第七五二海軍航空隊の一式陸攻5機のほか、横須賀海軍航空隊の天山艦攻12機、一式陸攻5機、二式艦偵3機、計25機。

昭和19年6月20日
「マリアナ方面索敵」
索敵線11本で、艦隊所定の全線に配備。
うち1機はサイパン東方において米艦隊を発見後、帰路パガン島の米艦船在泊状況を偵察。

同日
硫黄島に進出した機数は、七五二空の一式陸攻3機のほか、横空の天山艦攻7機、一式陸攻1機、計11機。
2315 連合艦隊司令長官は、既令の八幡部隊の作戦を中止し、同部隊を第五基地航空部隊に編入。

昭和19年6月21日
硫黄島に進出した陸攻、天山、彗星、零戦の総可動機数は122機。

昭和19年6月21~22日
「サイパン島夜間爆撃」
横空第三飛行隊の一式陸攻3機(他に9機)が、一時間おきに単機発進した。
0035~0300 サイパン島アスリート飛行場を爆撃。
【編成】
一式陸攻22型3機(横空)
一番機/
二番機/主操縦 田中 一飛曹
      主偵察 千田二郎上飛曹 機長
            中叔 仙一飛曹
三番機/      神社 明一飛曹
           
            金安恒男一飛曹
            唐川 勝一飛曹
            大橋文男一飛曹

昭和19年6月22日
横空の第一陣零戦27機(中島 正少佐指揮)、彗星艦爆13機、二式艦偵5機が硫黄島元山第二飛行場に進出。

昭和19年6月23日
早朝 索敵機が、米海軍第58機動部隊の索敵の為、発進。
横空艦偵隊が主体。

昭和19年6月23~24日
「サイパン島夜間爆撃」
横空、七五二空の一式陸攻5機が発進。
うち2機がサイパン島アスリート飛行場を爆撃。
【編成】
一式陸攻5機
【戦果】
不明
【被害】
不明
【戦死者】
植松寿義一飛曹  (甲飛10期)横空    *硫黄島発進後、交戦中、行方不明。
伊藤博顕一飛曹  (甲飛10期)七五二空 *硫黄島発進、作戦飛行中、グアム島上空にて敵機と空戦中に被弾。

昭和19年6月24日
「硫黄島上空艦載機邀撃戦(第一次)」
【総指揮官】
山口定夫大尉 (横空)
早暁 横空艦偵隊の索敵機が、米艦載機の編隊が数群に分かれ、硫黄島に向かうのを報ずる。
硫黄島の電探も硫黄島の南方60浬に米艦載機の大編隊を探知した。
空襲警報発令。
米機動部隊攻撃の為に待機中の各航空隊は緊急発進。
千鳥基地より、第二五二海軍航空隊・戦闘第三〇二飛行隊の零戦23機(二五二空は25番爆装)、第三〇一海軍航空隊・戦闘第六〇一飛行隊の零戦9機が発進。
元山基地より、横空の零戦27機が発進。
合計零戦59機、艦攻20機、艦爆8機、艦偵5機が発進。
零戦隊は第一波のF6F-51機と交戦。
二五二空は離陸直後に上空よりF6F編隊に攻撃され、低空よりの劣位戦となり苦戦した。
【横空編成】
零戦27機
第一中隊・第一小隊
一番機 山口定夫大尉
      武藤金義少尉   *撃墜:F6F戦闘機2機
      坂井三郎少尉   *撃墜:F6F戦闘機2機
      白鳥忠男飛曹長
      関谷喜芳上飛曹
      坂野隆男上飛曹
      黒沢忠治一飛曹
      柏木美尾一飛曹
      小川三郎一飛曹
      阿武富太上飛曹  被弾・不時着、負傷
      久保井武一飛曹

【総合戦果】
撃墜:41(不確実6)機
【米軍記録】
被墜:F6F戦闘機6機
被弾:多数機
【横空戦果】
撃墜:17(不確実6)機
【総合被害】
未帰還:零戦24機 艦攻16機 艦爆5機
【横空被害】
未帰還:零戦9機
【戦死者】
白鳥忠男飛曹長  (甲飛3期) 
関谷喜芳上飛曹  (丙飛2期)  *総撃墜機数:11機(公認)
坂野隆雄上飛曹  (丙飛3期)
柏木美尾一飛曹  (甲飛10期)
小川三郎一飛曹  (甲飛10期)
久保井武一飛曹  (乙飛15期)
  ほかに3名

同日
「硫黄島沖米機動部隊攻撃」
午後 零戦23機、艦爆3機、艦攻9機が出撃。
【横空編成】
零戦9機
第一中隊・第一小隊
 一番機 山口定夫大尉
 二番機   ?         未帰還
 三番機   ?         未帰還
第二小隊
 一番機 坂井三郎少尉    *撃破・F6F戦闘機1機
 二番機 志賀正美上飛曹
三番機   ?
第三小隊
 一番機 武藤金義少尉    *撃墜・F6F戦闘機2機
 二番機 二杉利次上飛曹  未帰還
 三番機 小池欣次一飛曹  未帰還
【総合被害】
未帰還:零戦10機 天山艦攻7機
【横空被害】
未帰還:零戦4機、天山艦攻7機
【戦死者】
二杉利次上飛曹  (操練54期) *硫黄島沖機動部隊攻撃
小池欣次一飛曹  (乙飛16期) *硫黄島沖機動部隊攻撃

昭和19年6月25日
館山基地より横空の第二陣零戦24機、三〇一空・戦六〇一の第二陣零戦31機、二五二空・戦三〇二の第二陣零戦16機(木村国雄大尉指揮)が硫黄島に進出。

同日
横空の月光6機が追浜基地より、硫黄島南西部の千鳥基地に向かう。(全機に機銃弾を全弾装備、両翼下に増槽を付け、胴体内に毛布を敷き整備員1名と、工具類を入れた要具箱を搭載。)
その他、整備員8名が、船で硫黄島に派遣された。
【横空夜戦隊・硫黄島派遣隊】
指揮官/第十三分隊長
 山田正治大尉  (海兵66期)操縦員
 市川通太郎少尉         偵察員
 徳本 正上飛曹         操縦員
 山崎静雄上飛曹         偵察員
 飯田 保一飛曹         操縦員
 塚越茂登夫一飛曹       偵察員
 倉本十三一飛曹         操縦員
 瀬戸末五郎二飛曹       操縦員
 富田俊喜二飛曹         偵察員
  ほかに1名
指揮官/第十五分隊士
 和田金太郎整曹長
 山田  一整曹
 高橋礦吉整長
  ほかに5名

昭和19年6月26日
「夜間雷撃」
陸攻5機が発進。
テニアン東方の特空母に対して夜間雷撃を行うが、効果不明。
【編成】
陸攻5機

昭和19年6月18日~26日
八幡部隊(横空派遣隊/七五二空/二五二空/三〇一空)機材損耗状況。
          硫黄島進出機数 未帰還機数 その他消耗数
零式艦上戦闘機    135       28       9
彗星艦上爆撃機     13        9       3
二式艦上偵察機      6        1       1
彩雲艦上偵察機      2        1       1
天山艦上攻撃機     36       23       6
一式陸上攻撃機     40        4       9
    合計        232       66      29

昭和19年6月27日
「サイパン島攻撃」
陸攻2機が発進。
サイパン島オレアイ方面夜間攻撃に向かうが、途中天候不良のため中止。

昭和19年6月28日
「夜間補給船団対潜哨戒」
2000 横空の月光2機が発進。
2100 徳本上飛曹/富田一飛曹機が、硫黄島南東海域で浮上中の潜水艦を発見。
2105 25番対潜爆弾2発を投下したが、潜没したため戦果は未確認。
【編成】
 月光2機
 一番機/操縦 瀬戸末五郎二飛曹
       偵察 山崎静雄上飛曹
 二番機/操縦 徳本 正上飛曹
       偵察 富田俊喜二飛曹
【戦果】
潜水艦1隻を攻撃したが効果不明
【被害】
無し

昭和19年6月29日
「夜間補給船団対潜哨戒」
横空の月光2機が発進。
対潜哨戒を行う。
敵を見ず。
【編成】
 月光2機

昭和19年7月2日
「夜間補給船団対潜哨戒」
横空の月光1機が発進。
対潜哨戒を行う。
敵を見ず。
【編成】
 月光1機

昭和19年7月3日
「硫黄島上空哨戒」
早朝 二五二空・戦三〇二は零戦13機で、二時間上空哨戒を行うが、空戦は無し。
三〇一空・戦六〇一は零戦 機で、上空哨戒を行う。空戦は無し。

午前 火工兵器の積替え作業中に基地の弾火薬庫で火災が発生して、爆弾、魚雷頭部が誘爆を起こす大事故となった。このため基地所在の航空機にも損害が生じ、避退予定の陸攻18機は基地周辺に分散された。

同日
「第三次硫黄島上空邀撃」
1435 空襲警報発令。
1440 二五二空・戦三〇二は零戦28機が発進。
離陸直後、F6F-約30機の第一波の奇襲を受ける。編隊を掌握でき無いままに、主力の10機前後で、基地北方海面上空高度3,800メートルにて、F6F-8機と交戦開始、その後は乱戦となる。
三〇一空・戦六〇一はいったん着陸後、給油中に空襲警報が発令。給油が済んだ機順に発進したが、編隊を組む余裕もなく低空を北上して北硫黄島上空に向かう途中、F6F-群に上方よりかぶられ苦戦した。
横須賀航空隊が発進。
1550 二五二空・戦三〇二は零戦16機が帰還。

北硫黄島上空にてF6F-約50機と交戦。

【編成】
不明
零戦延べ110機(三〇一空戦六〇一31/二五二空戦三〇二-28/横空- )
【総合戦果】
撃墜:39(うち不確実3)機
【三〇一空戦果】
撃墜:F6F-7(うち不確実1)機、艦爆3機
【二五二空戦果】
撃墜:F6F-7機
【総合被害】
自爆・未帰還:31機
【横須賀空被害】
不明
【戦死者】
出博 文一飛曹  (乙飛16期)*横須賀?

同日
「夜間補給船団対潜哨戒」
敵潜水艦発見の報を受け、横空の月光1機が発進。
対潜哨戒を行うが、敵を見ず。
【編成】
 月光1機
対潜哨戒機/操縦・飯田 保一飛曹
         偵察・塚越茂登夫一飛曹

同日
「夜間索敵攻撃」
夕刻 横空陸攻隊の一式陸攻9機が発進。
敵を発見出来ず、全機帰還。
【編成】
 一式陸攻9機

硫黄島所在の作戦可能見込数
零戦 41機
二式艦偵 1機
天山艦攻 3機
一式陸攻 9機

昭和19年7月4日
「第四次硫黄島上空邀撃」
0410 電探が北方85㌔に航空機の編隊を探知。
0415 空襲警報発令。
0428 二五二空・戦三〇二は零戦17機で発進。
F6F-延べ約160機を零戦延べ45機(横空/二五二空/三〇一空戦六〇一-14)で邀撃。
昨日と同様離陸直後より、上空より攻撃を受け、劣位よりの混戦となる。主力は北硫黄島上空にて、編隊をまとめ反転、基地上空にてF6F-80機以上と交戦。
0540 二五二空・戦三〇二零戦12機、帰還。
0711 艦爆約50機による第二次空襲がある。
零戦8機で邀撃。
0428~1610 五波、約350機が来襲。
【総合戦果】
撃墜:26機
【三〇一空戦果】
撃墜:F6F-6(うち不確実1)機、観測機1機
【総合被害】
零戦:12機
【横空被害】
損失:零戦5機
【戦死者】
山口定夫大尉    (海兵67期) *総撃墜数:12機
明慶幡五郎上飛曹 (丙飛3期)
久保貞夫上飛曹  (丙飛3期)

同日
午後 巡洋艦、駆逐艦各8隻の艦砲射撃を受け、飛行機は全機炎上、破壊される。

昭和19年7月6日
二五二空・戦三〇二の搭乗員は零戦を空輸する為、館山基地に帰還。
横空夜戦隊は月光で横須賀に帰還。
横空の残存搭乗員は、輸送機で帰還。


〔本土防空戦〕昭和19年11月以降

昭和20年2月上旬
厚木基地より横須賀基地に帰還。

昭和20年2月16日
「関東地区艦載機邀撃戦」
0735 零戦10機、紫電21型2機が、横須賀基地を発進。
審査部も参加(紫電21型・雷電:機数不明)。
三浦半島上空にてグラマンF6F戦闘機群と交戦。
【編成】
零戦10機 紫電21型2機
第一中隊・第一小隊
 一番機 塚本祐造大尉
 二番機
 三番機
 四番機
第二小隊
 一番機 羽切松雄少尉[紫電21型搭乗] *撃墜・F6F- 1機
 二番機 志賀正美飛曹長
 三番機 山崎 卓上飛曹
 四番機 大原亮治上飛曹
第三小隊
 一番機 武藤金義飛曹長[紫電21型搭乗]
 二番機
 三番機
 四番機
【戦果】
撃墜:5機
【被害】
損傷:2機[被弾・零戦2機]

昭和20年2月17日
「関東地区艦載機邀撃戦」
第一直の零戦、紫電11型、紫電21型、雷電の30数機が発進。
審査部の紫電21型3機が、横須賀基地を発進。
厚木基地附近上空にてF6F/F4U戦闘機19機と空戦。
審査部の紫電21型3機は、御嶽山上空附近で集合中のF4U/F6F戦闘機/TBF攻撃機の編隊群を1,000メートル優位より反復攻撃した。
武藤飛曹長機は、単機で厚木基地上空にてF6F戦闘機12機と交戦、2機を撃墜、洋上に避退するのを追撃し更に2機を撃墜した。
第二直の零戦が発進。
【編成】
不明
第一小隊
 一番機 指宿正信少佐
 二番機
 三番機
第二小隊
 一番機 塚本祐造大尉
 二番機
 三番機
第三小隊
 一番機 岩下邦雄大尉
 二番機
 三番機

第 小隊
 一番機 武藤金義飛曹長[紫電21型搭乗] *撃墜・F6F戦闘機4機
 二番機
 三番機
第 小隊
 一番機 戸口勇三郎飛曹長[紫電21型搭乗]
 二番機
 三番機
       小林  上飛曹[雷電搭乗]     *撃墜:F6F戦闘機1機
       大原亮治上飛曹[紫電11型搭乗] *撃墜:TBF攻撃機1機、F4U戦闘機1機

審査部小隊
 一番機 山本重久大尉 [紫電21型搭乗] *撃墜:F4U戦闘機 1機
 二番機 増山正男上飛曹[紫電21型搭乗]*撃墜:1?機
 三番機 平林真一上飛曹[紫電21型搭乗]*撃墜:1?機

第二直
第 小隊
 一番機 羽切松雄少尉         *敵影を見ず
 二番機
 三番機
【戦果】
撃墜:19機(うち不確実6機)
【被害】
不明
【戦死者】
山崎 卓上飛曹   (丙飛3期)         *横浜

昭和20年2月19日
「関東地区B29爆撃機邀撃戦」
銚子上空高度9,000メートルにてB29を邀撃。
☆{米第21爆撃兵団/第73/313爆撃航空団のマリアナ出撃B29爆撃機150機、1449~1547に第二目標(東京市街地)に投弾119機、最終順位目標に投弾7機、臨機目標に投弾5機、早期帰還13機}
【編成】
不明
第 小隊
 一番機 羽切松雄少尉      *撃墜・B29- 1機                被弾・中破
 二番機
 三番機
 四番機
       戸口勇三郎飛曹長
【戦果】
不明
《米軍記録》
損失:B29爆撃機6機(体当り2/不時着水1/行方不明1/墜落1/大破炎上1)
【被害】
不明

昭和20年2月25日
「関東地区艦載機邀撃戦」
零戦8機、紫電3機が発進。
横須賀上空を警戒したが、敵機と遭遇せず。

昭和20年4月1日付
【装備定数】
艦上戦闘機24機 局地戦闘機48機 夜間戦闘機36機 陸上偵察機8機 特殊攻撃機「秋水」24機

昭和20年4月7日
「関東地区昼間戦爆連合邀撃戦」
0715 東部軍司令部は警戒警報を発令。
横須賀空/六〇一空/二五二空の25機が発進。
0848 横須賀鎮守府が警戒警報を発令。
0925 東部軍司令部は空襲警報を発令。
0938 横須賀鎮守府が空襲警報を発令。
当日は情報により直掩戦闘機(P-38双発戦闘機と想定)の随伴が予想されたが、実際はB-29爆撃機を掩護のP-51戦闘機を陸軍の三式戦「飛燕」と誤認し、陸海軍の防空航空隊の各機とも奇襲に近いかたちでP-51戦闘機と空戦を開始し、被害を多く出した。
★{米第21爆撃兵団/第73爆撃航空団のサイパン発進B-29:107機、1000~1006に第一目標(中島飛行機・武蔵野製作所)に投弾101機、臨機目標に投弾1機、無効果出撃5機。その他に第 313/314爆撃航空団のテニアン北/グアム北発進B29:194機が、1100~1254に第一目標(三菱重工業・名古屋発動機製作所)に投弾 151機、最終順位目標に投弾28機、10機が引返す。掩護の第7戦闘兵団/第15/21戦闘航
空団の硫黄島発進P-51:108機、17機が引返す}
【編成】
紫電21型6機(各機二七号爆弾2発装備)
第一小隊
 一番機 指宿正信少佐
 二番機
 三番機
第二小隊
 一番機
 二番機
 三番機 大原亮治上飛曹  P-51により被弾、陸軍相模原飛行場に胴体着陸、機体大破
【戦果】
不明
【被害】
不明
《米軍記録》
損失:B29爆撃機3機[対空砲火2/三号爆弾1]
    P51戦闘機2機[対空砲火1/不時着水1]
 他に名古屋方面で損失:B29爆撃機2機[戦闘機1/対空砲火1]
【陸軍被害】
損失:11機

昭和20年4月12日
「関東地区昼間戦爆連合邀撃戦」
紫電21型3機(各機二七号爆弾2発装備)が、横須賀基地を発進。
江ノ島上空高度10,000メートルにて待機。
下田上空にてB29爆撃機約100機に二七号爆弾を発射したが、電導スイッチが不良で不発。
塚本大尉機は、直衛のP51戦闘機が攻撃してきたので降下して避退、6,000メートルにて上昇しようとした際、上空より攻撃してきたP51戦闘機にメタノール・タンクに被弾、横須賀基地に緊急着陸。
羽切少尉機は、離脱の際、被弾負傷し、厚木基地に不時着。
武藤少尉機が調布上空でP51戦闘機1機を撃墜。
☆{米第21爆撃兵団/第73爆撃航空団のサイパン島アイズレイ飛行場を発進B29:114機、第7戦闘兵団の硫黄島発進P51:約90機、1108~1121に第一目標(中島飛行機・武蔵野製作所)に投弾94機、第二目標に投弾11機、臨機目標に投弾2機、無効果出撃7機}
【編成】
紫電21型3機
第一小隊
 一番機 塚本祐造大尉    被弾・中破
 二番機 羽切松雄少尉    被弾・中破 負傷
 三番機 武藤金義少尉    *撃墜:P51戦闘機1機
【戦果】
撃墜:P51戦闘機1機
【米軍記録】
損失:P51戦闘機4機[B29爆撃機:被害無し]
撃墜:36機[うちP51:20機] 不確実撃墜:2機 撃破:12機 
【被害】
損傷:紫電21型2機[被弾:中破2]

【負傷者】1名
羽切松雄少尉   (操練28期)*右膝関節、右大腿部、右手掌に機銃弾の破片が貫通、重傷。

昭和20年4月15~16日
「東京/川崎地区夜間B29爆撃機邀撃戦」
2203 横須賀鎮守府は空襲警報を発令。
2215 第七飛行隊・第一小隊/二番機が、追浜基地を発進(無線機が不調の為、地上より誘導を受けられなかった)。
二番機は、東京湾上空を約1時間哨戒。
2315過ぎ 二番機は、木更津沖にてB29爆撃機1機を撃墜。
2345頃 一番機が発進。
0000頃 一番機は、横浜西部上空にてB29爆撃機1機を撃破。
0007 二番機は、太平洋上に離脱はかるB29爆撃機を房総半島上空へ追撃し、B29爆撃機1機を撃墜。
0015 二番機は、東京市街北西方上空にてB29爆撃機1機を撃墜。
0110 関東地区の空襲警報解除。
B29爆撃機:303機が京浜地区を爆撃、焼夷弾1,930トンを投下。
【編成】
月光11型甲2機
第七飛行隊・第一小隊
 二番機(ヨ-103)操縦 徳本 正上飛曹
           偵察 山崎静雄上飛曹
 一番機(ヨ-101)操縦 倉本十三上飛曹
           偵察 黒島四朗少尉
【戦果】
撃墜:B29爆撃機3機
撃破:B29爆撃機1機
《米軍記録》
損失:12機(行方不明11/帰途墜落1)
損傷:47機(大破3機、小破44機) 戦死125名 負傷5名
撃墜:1機
【被害】
無し
横浜、川崎、東京南部の市街地は壊滅、横浜4工場、川崎13工場、東京南部8工場が破壊された。

昭和20年4月23日
横須賀 [筆者注:調査未完]
大野英二      (甲飛12期)

昭和20年4月~6月
審査部は、青森県三沢基地に移動。

昭和20年4月~5月
第七二一海軍航空隊より、小町 定上飛曹が着任。

昭和20年5月23~24日
「関東上空B29爆撃機夜間邀撃戦」
0000過ぎ 八丈島の陸軍電波警戒機乙が北上するB29爆撃機群を捕捉。
0027 警戒警報発令。
0105 横須賀地区警戒警報発令。
第七飛行隊・第一小隊/月光1機、第二小隊/彗星1機が、追浜基地を発進。
0140 B29爆撃機が東京上空に侵入、南東部の市街地に対して焼夷弾攻撃。
〔三〇二空の零夜戦2機、月光8機、銀河2機、彗星7機が邀撃〕
●[陸軍第十飛行師団は総数140機が邀撃]
☆{米第21爆撃兵団:第58/73/313/314爆撃航空団のマリアナ出撃数B29爆撃機558機、第一目標(東京市街)に投弾520機、臨機目標(川崎、横浜、静岡、浜松、埼玉南部)に投弾5機、無効果出撃33機、投弾した焼夷弾3,646トン }
【編成】
月光11型甲1機、彗星12戊型1機
第七飛行隊・第一小隊
 操縦
 偵察
第二小隊
 操縦
 偵察
【戦果】
無し
【三〇二空戦果】
撃墜:8機 撃破:6機 命中弾:3機 
【陸軍戦果】
撃墜:27機 撃破:約30機
《米軍記録》
損失:17機(対空砲火2/戦闘機・対空砲火1/行方不明10/事故4) 
損傷:69機
不時着:49機(硫黄島)
【被害】
不明
死者762人 負傷者4,230人 罹災者224,601人 被害家屋64,487戸

昭和20年5月25~26日
「関東上空B29爆撃機夜間邀撃戦」
2238 B29爆撃機250機が京浜地区に来襲、単機及び小編隊で高度3,000~3,500メートルから爆撃。
〔三〇二空の月光8機、銀河3機、彗星8機、零夜戦7機が邀撃〕
☆{米第21爆撃兵団/第58/73/313/314爆撃航空団のマリアナ出撃B29爆撃機498機、第一目標(東京市街)に投弾464機、臨機目標6機、無効果出撃28機。東京地区焼夷弾攻撃、投下焼夷弾3,262トン }
【編成】
月光11型甲1機 彗星12戊型1機
第七飛行隊・第一小隊
 一番機 操縦 山田正治少佐*撃墜・B29- 1機、撃破・B29- 1機    不時着、負傷のち戦傷死
       偵察   ?                                     戦死。
第二小隊
 一番機(ヨ-101)操縦 倉本十三上飛曹 *撃墜・B29- 5機、撃破・B29- 1機
           偵察 黒島四朗少尉
【戦果】
撃墜:B29爆撃機6機
撃破:B29爆撃機2機
【三〇二空戦果】
撃墜:B29爆撃機16機
撃破:B29爆撃機8機
命中弾:B29爆撃機16機
【陸軍戦果】
撃墜:25機
撃破:10機
《米軍記録》
損失:B29爆撃機26機(対空砲火3/大破放棄2/行方不明21)
損傷:B29爆撃機110機以上(対空砲火89/戦闘機10/対空砲火・戦闘機11以上)機
【被害】
損失:彗星1機(不時着/大破)
搭乗員戦死1名 戦傷死1名
家屋焼失157,000戸 罹災620,000人
【戦死者】
山田正治少佐        *不時着の際に重傷を負い、26日未明に死亡。
[偵察員:調査未完]     *不時着の際に即死


昭和20年8月15日付、
【司令】
松田千秋少将
【定数】
艦上戦闘機24機 夜間戦闘機12機


【参考文献】
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[筆者注:これからも校正、改訂を予定しています]
初稿  2005.01.24
第2稿 2005.03.05  一部加筆
第3稿 2005.04.15  一部加筆