歴史について
最近の中華人民共和国による反日運動というのは、歴史の重要性と怖さというものを感じずにはいられない出来事です。
かの国の歴史が、その時の施政者によって改竄されたり、自分の都合の良いように利用されているのは、わが国の人間なら60年前の日本とダブらせて今回の騒動を見ると思います。
大韓民国との外交問題もそうです。
日本が戦後、双方の主張する歴史を、客観的事実に基づき正確に認定することを怠ったから、このような事態を招いたといえるでしょう。
相手の言うことが間違っていると判っているのに、相手の都合と自分の都合との中で妥協点を探り、そこに合わせて相手をなだめすかして今まで付き合ってきた、というのが正直なところでしょう。
そこに国家としての徳義はあったのでしょうか?
今からでも遅くは無いですから、誠意をもって共通の歴史認識(事実)を持つべきです。
たとえ、相手が共産党に統制されている一党独裁国家や、国家により他国の文化を統制する真の自由主義国家では無い隣国であったとしてもです。
真実は虚実に勝つのです。嘘はいつかバレます。当然、国際社会で恥をかくのは嘘を言った方でしょう。
日本が情に偏り、自分に都合の良い歴史認識だけを主張していては駄目なのです。その行為は相手と同じ虚実の土俵に立つことなります。
それには、正確な情報を第三者的な国際機関に裁定して貰わなければいけません。それが何年掛かろうと、あらゆる事実をつき合わせて、わが国は正確な歴史を主張をすべきです。そこに改竄があっては絶対にいけません。
そして、われわれはその正しいと判定された歴史をきちんと認識しなくてはいけません。
戦後の作為的な自虐的な歴史観や、その反動ともいえる歴史観では国の進路を誤らせます。
今こそ冷静になって、隣国との歴史を直視し、共通の事実を認識して、関係の改善を図ろうではありませんか。
たとえお互いの関係が改善できなくても、一時的に悪化しても、わが国は真実を主張すべきなのです。
そのためには経済が冷え込もうが、国連の常任理事国になれなくても、相手に迎合せず、毅然とした態度をとり、本当に日本が徳義の国となれば、そんなものは後からついてきます。
アメリカから安い牛肉が輸入されなくなって、われわれは何か困りましたか?
中国から安い物が入って来なくて、何か困りますか?
かの地の安い労働力で物を作って、それを安く大量に売ってうれしいですか?
日本に作れないものは何も無いはずです。
そんな物のために志を捨ててどうするのですか!
幕末の維新で、明るい日本の未来を見つめた志士たちと同じ純粋な気持ちで、国家百年の大計をもって、この国難を乗り切らなければいけないのです。
「余は国を愛する人となりて、愛国を論ずるものとならざらんことを望むものなり」
(『基督信者のなぐさめ』 内村鑑三著)
決して、相手と同じ土俵に立ってはいけません。
法治国家である日本や国際社会では、彼らの叫ぶ「愛国無罪」は通用しないのです。
愛国を叫ぶより、国を愛し、自分が出来ることで国を支えていく行為が正しいといえるでしょう。
それが真の愛国的行為なのです。
筆者は自身に、これを機会に国を愛するということが、どういう行為や思想なのか考え、そして自分に何が出来るのかを問いたいと思います。