今日は久しぶりに、漫画喫茶に行った。

 

読みたい漫画があったからだ。

 

しっぽの声という漫画だ。

 

保護猫活動のことや、他にも動物のことが書かれている。

感動もするし、勉強にもなる。

 

今日読んだ中で、安楽死があった。

子ザルを訳あって安楽死させるんだけど、そのシーンに泣いた。

 

ピコは安楽死ではないけど、ピコの死と重なって泣けた。

ピコが亡くなってから、動物の死には弱くなった。

 

ちょっとでも関わった子達の死はもちろんのこと、今日のうような漫画でも泣いてしまう。

なんか全部が、ピコが亡くなったときのきっかけとなり、思い出してしまう。

そして泣いてしまう。

 

それはきっと今でもピコの死に対しては、後悔と懺悔の繰り返しばかりだからだと思う。

あの時もっとこうしていれば・・・の繰り返し。

 

私の家じゃなくて、他の家に飼われていたら、もっと長生きしていたのかな?

私じゃなかったら、もっと早くにピコの病気に気が付いてあげられたんじゃないだろうか?

 

ピコは、別のお家のほうが幸せになれたんじゃあないだろうか?

 

ピコが亡くなってから、何度思った事だろうか?

こう思う度に、ピコに謝りたくなる。

 

そしてピコに会いたくなる。

 

今日もしっぽの声を読みながら、ピコのことを思い出した。

 

ピコが亡くなった次の日に私が亡くなることが理想だったのに、私はまだまだ生きています。