【個性が強烈なキャラ:車寅次郎】【俳優:渥美清】

 

  【ドラマ/邦画】『男はつらいよ』  

 

【作品情報】

作品は1968年(昭和43年)- 1969年(昭和44年)に、フジテレビが制作・放送したテレビドラマが最初で、柴又の帝釈天が舞台ではなかった。このテレビ版はヒットしたが、最終話でハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島にハブを取りに行って逆にハブに咬まれ、毒が回り死んだという結末に視聴者から多数の抗議が殺到して映画化につながった。
映画シリーズは、松竹によって1969年8月27日に第1作が公開され、1995年(平成7年)までに渥美が参加した48作が、1997年(平成9年)と、2019年(令和元年)に特別編が公開された。

 

 

 

 

 

 

 

 

【感想】

最高のラブコメで、子供の頃から毎年正月に観て笑うのが恒例です。今でも気分が落ち込んだ時は寅さんが一番だ。私は、子供の頃江戸川区に住んでいて、帝釈天にはよく自転車で行ける距離でした。寅さんって、関東の笑いだけど、関西の人にもうけているのだろか?今は関西在住ですが、周りの人は「男はつらいよ」をあまり観ないと言ってました。吉本の影響は大きいと思います。それとも、上方落語なのだろうか?

 

【登場人物】

 

車寅次郎 演 - 渥美清
主人公。葛飾柴又の帝釈天門前にある老舗の団子屋「本家とらや老舗」(40作以降は「本家くるま菓子舗」)の5代目主人、車平造と、芸者の菊との間に生まれた。生年月日は資料や作品によって異なっており、1931(昭和6年)年9月10日、1935(昭和10年)年9月10日、1940(昭和15)年2月26日、同年9月10日、同年11月29日などの説がある。第1作の年齢の設定は41歳。
生後まもなく平造とさくらの実母の光子に育てられるが、柴又尋常小学校卒業後、13歳、または14歳の時(1949年12月)、柴又中学校を中退。16歳で家出。若しくは旧制中学校や葛飾商業学校を中退という資料もある。第35作では葛飾商業学校同窓会からのハガキに対し、「卒業してねぇのに何で会費払わなくちゃなんねぇんだ」と言っている。第26作で旧制の中学2年の時に「芸者の子供だから教育がなっていない」と校長に言われたことに腹を立て、体育祭の日に酒を飲んだあげく校長を殴り退学になったと、定時制高校の学生に話している。14歳の時、校舎の隅でタバコを吸っていたのが見つかり父・平造が呼び出され、帰宅後大ケンカをして家を飛び出したという説もある。第26作で定時制高校に編入したいと願書を書いているが、中学校中退だからと断られている。14歳の家出後放浪の果てにテキヤとなり、その際の経緯は第39作の夢のシーンで断片的ながら映像化されている。寅次郎の家出の数年後に平造は死去し、第11作で27回忌を迎えている。初恋は11歳の時で、とらやの裏手にある朝日印刷の女工をしていた18歳の山形出身のサトコであった。
それから20年後の1969年(昭和44年)、柴又帝釈天(経栄山題経寺)の庚申(こうしん)の日(帝釈天の縁日)に柴又に帰省して父の団子屋に戻って来て以来、年に数回とらやにふらりと帰って来ては家出を繰り返している。家を飛び出してから全国各地を回って祭りなどで物を売りさばくのが日課。商売柄、口が非常に達者で、思いつきやデタラメに作り上げた会話で人を笑わせる、快活で明朗な性格である一方、中身は子供のままで、感情が顔に出やすく、ちょっとしたことで頭に血が上り、激昂すると女子供相手にも容赦なく手を上げようとする程に大人気ない性格の為、しょっちゅうケンカ沙汰になる。また、美女を目にした途端にのぼせ上がり、それが毎度色恋沙汰を引き起こす。人情に厚く、義理堅いという根は真面目な面もあり、家族のことも大切に思っているが、孝行しよう、真面目に働こうと必死になるたびに、気持ちのすれ違いや他者との誤解から、空回りしてケンカが起きることもしばしば。小学校までしかまともに教育を受けておらず、手紙なども文法は丁寧ながら字体は辛うじて通じるなど、漢字もあまり読み書きができない(例えば、封建主義を「ふうけんしゅぎ」、喫茶店を「きっちゃてん」と呼ぶ等)。
和食党で好物は芋の煮っころがしやがんもどき。歌はうまく、旅先で鼻歌、替え歌を口ずさんだり、上機嫌なときは笑顔で歌い出したりする。鈍行列車を好み、速い乗り物は苦手であるが第25作と第42作では飛行機、第46作では新幹線に騒動の末、乗っている。特に飛行機に乗る際は本気で怖がっており、美人のスチュワーデスの説得でようやく乗る事が出来た。が日本各地をテキヤ稼業で旅しているので、国内の名所には詳しいが、一方で外国を毛嫌いしてる部分も多く、第24作ではとらやに下宿していたマイコーを当初嫌っていたり、成り行きで旅行したウィーンでも、辛うじて「ありがとう」のドイツ語・「ダンケ」を覚えられただけである。旅先でも腹違いの妹・さくらのことを常に気にかけている。27作までは大阪が嫌いでおいちゃんたちが「大阪と寅は相性が良くない」と言っていたり「大阪弁を聞くと蕁麻疹が出る」「関西の料理は薄味で食べた気がしない」と述べていた。
保険証は持っていない。パスポートは第4作でハワイに行きかけたり、第41作でウィーンへ行くとき「数年前に取ったパスポートがあるはず」とさくらの台詞があり、実際にウィーンへ旅立っている。運転免許証については言及はない。
寅次郎の名は、映画監督の斎藤寅次郎にちなみ、車は非人頭が代々受け継いだ名前「車善七」からとの解釈があるが、監督の山田洋次はそれを否定して、当初姓に考えた「轟」が物々しいのでそこから1字とって姓は車に、寅は落語の熊さんから転じたもので、さらに次男だから次郎をつけて寅次郎としたと説明している。また渥美清が幼少期を過ごした上野車坂という説もある。寅次郎の方は柴又の兵隊寅、若しくは喜劇の神様で斎藤寅次郎監督から由来していると山田監督は述べている。
映画版では第48作ラストで旅に出て以降は、とらやに帰ってきておらず、どこを旅して暮らしているのか長らく不詳のままになっていることが第50作の満男たちの回想等により明らかになっている。第50作終了時点で寅次郎が生きているかどうかについは、監督の山田は「そのことには触れないようにしています。『死んだ』とも『生きてる』ともセリフはない。さくらはどこかでお兄ちゃんが生きてることを信じているし、彼女の前でそのことは触れちゃいけないとタブーになっているんだと思います」と明言を避けている。

 

ドラマ版では一獲千金を狙って奄美大島までハブを取りに行ったところ、逆に噛まれた事で、雄二郎の頭を叩きながらそのまま亡くなって行くという悲劇的な最期を迎えている。

 

【あらすじ】

テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして、成就しない。寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く。
当初は1960年代半ばから、東映「ヤクザ映画」のパロディとして企画された。安藤昇が助監督時代の山田洋次に『男はつらいよ』の原案を伝えたという説がある。高倉は山田監督による『幸福の黄色いハンカチ』『遥かなる山の呼び声』に出演。この両作品で渥美清、倍賞千恵子とも共演している。