【実在した人物:山本八重 → 新島八重】【俳優:綾瀬はるか】

 

【大河ドラマ】『八重の桜』 

2013年1月6日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第52作。2014年度国際エミー賞テレビドラマ部門ノミネート作品

 

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【感想】

幕末の激動の時期にこんなに素晴らしい女性が存在していたことを知ったことが、私には幸せなことと感じています。この作品の出演者が何と豪華なことでしょう。

当時は、あまり感じてなかったと思います。もう10年前とは何と時の流れが速いと感じました。綾瀬はるかさんのはまり役です。

 

【登場人物】

新島八重(山本八重 → 川崎八重 → 山本八重 → 新島八重)演:綾瀬はるか
会津藩砲術師範・山本家の長女。米俵を軽く持ち上げるほどの腕力の持ち主で、性格は自由奔放かつ男勝り。
幼い頃から砲術に興味があり、父・権八に反対されながらも、兄・覚馬から銃の手ほどきを受け技能を伸ばし、新式銃の開発にも携わるようになる。また、模擬戦の追鳥狩を木に登って見学している最中に草履を落としてしまい、家老の西郷頼母に厳しく叱責された。覚馬の勧めもあり、川崎尚之助に嫁ぐ。
鶴ヶ城籠城戦では頼母から「城を守るために使え」という助言もあり男装して入城し、覚馬から贈られたスペンサー銃で戦い、活躍した。会津藩降伏後、生き残った藩士達と共に猪苗代での謹慎を望むが果たせず、米沢の内藤家に身を寄せ、この間に尚之助とは離縁。
覚馬に呼び寄せられ、家族とともに京都に移住し、女紅場(女性の手仕事を教える機関)で教師として働くこととなる。その後、東京で尚之助と再会し、復縁を望むが拒まれ、京都で待っていると告げ東京を後にしたが、尚之助は間もなく亡くなる。失意の中、新島襄と出会い婚約するが、クリスチャンの襄と婚約したことで女紅場を解雇された。襄と再婚後は彼の興した同志社の経営にも関わり、彼の最期も看取る。襄の死後、覚馬の勧めで篤志看護婦人会に入会。日清戦争では看護婦として負傷者の看病に当たり、終戦後にその活躍が評価され民間の女性初の受勲者となる。
 
新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の教育者、茶道家。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島 八重子と書かれる場合もある。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物 。

【あらすじ】

1865年、アメリカ合衆国では南北戦争が終結。不要となった武器の多くが日本へもたらされることとなる。そして明治元年(1868年)、それらを装備した新政府軍の攻撃にさらされる会津若松城の中に、最新式のスペンサー銃を手に抗戦する一人の女性がいた。山本八重、後の新島八重である。

時は遡って幕末、諸外国からの開国要求が高まり、日本国内は開国派、攘夷派などの思想の違いによる分断が起きようとしていた。この時代の転換期に、会津藩の砲術師範の家に生を受けた八重は、藩軍備の洋式化を目指す兄・山本覚馬や、その友である洋学者・川崎尚之助らの側で、会津地方そして日本の変化を感じていた。

幕末の争乱により治安が悪化する京都警護のため、会津藩主・松平容保が京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くさんと、会津は藩を挙げて倒幕派追討への動きに加わることとなる。それは後にいわれる「会津の悲劇」の序章であった。

 

【作品情報】

当初はまったく別の作品を計画していたものの、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生したことを受け、NHK内部で東北復興を支援する内容にすべきだとの意見が上がり方針を転換。福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった新島八重の生涯を描いた作品となることが公式発表以前にマスメディアを通して明らかにされていた。