「鯛を釣る」とも言いますが
良き運気の兆し…もしくは進むべき方向の兆しを逃さない為にはどうしたら良いのでしょう?
それは
偶然にしては?…という偶然から偶然を手繰り寄せることです。

一つには
自分の身の廻りに起きている出来事のキーワードから探る手です。
まったく次元の違う出来事なのに…同じキーワードが二つ三つと重なる時は…「これは!」と感じて進めてみるものです。

例えば
ニキビ顔の若い女性…。
まったく自分の次元の違う人脈からの話しなのに、何故かたまたまニキビ顔の若い女性が主に拘っている。
「あぁ…これは、今この段階でしっかりとニキビ顔の女性をしっかりとケアしていけば、大きなビジネスに展開していく…守護霊さんからの兆しなのかも」と、受け取って進めていくのです。

その以前に
運気を引き寄せるポイントがあります。それは我執にならないことです。


神は
親のような存在

けれども
何でも好きなものを買ってくれる
甘やかしの親ではありません

この世に
生まれてきた目的は魂の成長の為

魂の成長のために
親のように見守っているのです

魂の成長のために
神は良き出会いを与え、よき機会を与えてくださっているのです

人を甘やかす為に
良き出会いや良き機会を与えてくださっているのではないのです

つまり
自分の思い通りになるように
神は良き出会いや良き機会を与えてくださるはずはありません。

人の想いと神の計らいが一致すればこそ
良き出会いや良き機会を与えてくださるのです

勝手に
神は思い通りに自分の願望を叶えてくれると思い違いしてはいけません。

むしろ
自分の願望と反する運命が巡ってきたなら…
それこそ…自分を想いを思い返す良き機会を与えて下さった…と真摯に反省し…良き道に戻ることです。

むしろ
方向修正をする良き機会を与えて下さった。と、喜ぶべきです。

もし思い通りに神が叶えていると感じているなら
それは
少なくとも
善の神ではない。。そう…疑ってかかるべきものです。