こんな気持ちは、久しぶりに味わった。
理解できない時の悔しさ。
分からないということは、こんなにも苦しいことだったのか![]()
昨日、刺しゅう教室で、新しく「パレストリナ」というステッチを教わった。ジャーマンノットというコロンとした結び目が連なる、ボリュームたっぷりの可愛らしいステッチである。
「ここから入って、ここに出て、この糸の下を通して、次はここに入って…」と、先生がやって見せてくれるのをじっと見て、メモを取り、自分でやってみる。説明を聞いている時は分かった気になっていたのだが、いざやってみると、わ、分からん…
先生みたいにできない。
「先生すみません
」と何度も質問し、先生は根気強く教えてくれた。
手を替え品を替え、繰り返し教えてくれるのだが、どうしても分からない。
何度やっても分からない![]()
夜7時から9時半まで二時間半、お茶も飲まずにみっちり習得を試みたが、結局、最後まで理解できなかった。
しょぼん…![]()
こんなに真剣に取り組んで、なにひとつモノにならない時の落胆
達成感、ゼロ
私の頭は、一体どうなってるんだ
私、こんなにアホだったか
自意識過剰からくる屈辱感が、私を襲う。
この悔しい感覚が呼び起こした苦い思い出は、小学生2年生の算数であった
一人ずつ起立して、九九を暗誦する授業。みんながクリアしていくなかで、途中で詰まって、言えなくなった私。あれは、4の段だったか、6の段だったか。あの時は、途中で泣きだして終了した。長い間、心の奥底の小箱にしまっていた、なんとも悲しく悔しい思い出…
さすがに、あれから20年以上経ったので、刺しゅうのステッチが習得できないくらいでは泣かなかったが、悔しいったらありゃしない
自分自身に腹が立つし、ひどくケチ臭いが、正直、レッスン料の元が取れなかった気がして、それまた悔しい。(先生、腹黒い生徒ですみません
)
心優しい先生は、お土産に芋ケンピをくれた![]()
ありがたく頂戴し、教室を出た瞬間、芋ケンピをさっそくかじり始めた。集中後の空腹感5割、腹立ち紛れが5割。何かを口にしなければ、やりきれない気持であった。
無心に芋ケンピを口に運ぶ。自動販売機で水まで買って、本気で食べますモードの帰り道は続く![]()
ポリポリとものすごい勢いで食べていたが、駅前の信号待ちで、ふと我に返って、はっとした。
そこは東京の真ん中で、会社帰りと思しき人がたくさんいるではないか。
レディーが、こんな道端で芋ケンピをかじっていてはいけないのだ![]()
大人になった今、そう簡単に悔し涙を流さない分、芋ケンピでうっぷんを晴らすような図太さは、しっかり身についていた。
私、強くたくましく生きていきます![]()
