ゴッドファーザーの旅立ち | ちっぴのブログ☆CHIPILOG

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美しい大人を目指す私の日々

とうとう、おじいちゃんが旅立ってしまった。


2009年6月24日、83歳6ヶ月の長寿を全うしての旅立ち。


25日早朝、私は東京から札幌に戻ってきたけど、遅すぎた。死に目には会えなかった。


不老不死はありえない。「年寄りから死んでいくのは幸せなことなんだ」と、おじいちゃんも言っていた。私が31歳になるまで生きていてくれたことに、大いに感謝している。




が、しかし、子どもの頃から無類のジジババっ子の私は、初孫のせいだか何だかわからないけれど、今も昔も異常にジジババになついているから、ただただ悲しくてしょうがない。これは至って自然な流れだと理解はしていても、理屈云々の話ではない。悲しい。おばあちゃんも両親もみんながいても、おじいちゃんのことはゴッドファーザーみたいに思っていたから、心細いような気もしている。



とくかく、私は子どもの頃から、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでしまうことを、ひどく恐れていたのである。


中学生の時、「このテスト期間に、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでしまったらどうしよう…」と心配しては、「テストなんか投げうって、おじいちゃんとおばあちゃんのもとに駆けつける」と、おかしな決意をして、勉強をしたこともあった。


高校の頃、おじいちゃんが胃ガンになった時には、「私の命と引き換えでいいから、おじいちゃんに長生きしてほしい」と、おじいちゃんも望まないようなことを願ったりした。親友が一緒になって、「おじいちゃんのガンが治りますように」と祈ってくれたことは、とても嬉しかった。あれから15年が経つ。


東京に出て来てからは、札幌に帰省して東京に戻る時はいつも、「これがおじいちゃんに会う最後になったら、どうしよう」と心配で心配で、毎度涙をこらえながら、「おじいちゃん、またね」と言ったものだ。


結局、先月の連休に帰省したときの「またね」が最後になってしまった。



 


おじいちゃんは、自分でも「いい人生だった」と言っていたし、私から見てもいい人生だったように思われる。酒、たばこ、麻雀、ゴルフ、競馬…たっぷり遊んだようだし、旅行もたくさん行ったし、イケメンだし、女の人にもたいそうおモテになったという話だし、おばあちゃんとの夫婦仲も良かったと私は思うし、長生きだった。




ただ、これは私自身の単なるエゴだけど、今月になっておじいちゃんの具合が悪くなった時、駆けつけなかったことが悔やまれる。とても強い人だと思っていたおじいちゃんも、死を目前に感じたとき、ひどく心細く思ったようで、入院中の病院から、何度も電話でおばあちゃんを呼んだそうだ。おばあちゃんも高齢で、病院で長時間一緒にいることは出来なかったということだから、私じゃ頼りないだろうけど、それでも一人でいるより少しは心強かったかなぁと思うと、すぐさまお見舞いに飛んでいけばよかったと、そればかりが悔やまれる。


今まで、おじいちゃんには、東京と札幌を往復するのに十分なお小遣いをたっぷりもらった。会社の有給だって、こういうときに使えば良かった。おじいちゃんの具合が悪いと聞きつつ、東京でめそめそウジウジしてた私は本当にバカ。おじいちゃんに、もうひと目会いたかった。




昨日で葬儀はすべて終了。おじいちゃんがいなくても、世界は普通にまわっている。私の人生も、まだまだ続く。たとえば、おじいちゃんと同じ83歳まで人生が続くなら、まだ折り返し地点にも来ていない。


これから、おばあちゃん孝行をして、読書好きのおじいちゃんの本棚にある本を地道に拝借しては、全部制覇したいと思っている。


おじいちゃんにまた会いたいし、生まれ変わることがあるならば、またおじいちゃんの孫で生まれてきたいと思っている。


明日からは、また東京で頑張らなければならない。