「ノルウェイの森」 村上春樹
高校時代、同級生に物凄く清純な女の子がいた。その彼女が、「お兄ちゃんが、この本は読んじゃダメだって」と言ったのを、鮮明に覚えている。読んじゃだめな本って、一体どんな本だ。
私が「ノルウェイの森」を読んだのは、およそ大人になってからである。なるほど、お兄さんが高校生の無垢な妹から、この本を遠ざけたい気持ちも良くわかる。
2006年8月に、この本を初めて読んだとき、とても面白いと思った。そして今のところ、村上春樹の作品のなかで、「ノルウェイの森」が一番好きだ。しかし覚えていることと言えば、主人公ワタナベ君の先輩の彼女が、「ミッドナイトブルーのワンピースに、赤いパンプスを履いていた」という、青を形容する「ミッドナイト」と、そんなブルーに赤いパンプスを合わせたという色彩のイメージである。もうひとつ気に入ったのは、ワタナベ君が男友達と家でお酒を飲むときに、「キウリとセロリを細長く切って味噌をつけてかじった」というつまみの描写。他にもっと読み取るべきことがあっただろうに。
それがこの度、久々に再読してみようという気になった。同じ本を二度読むのが大嫌いな私にとっては、珍しい動きである。何度繰り返し読んでも、その都度新しい発見がある、というのは良く聞く話だし、そういう本の読み方に憧れてはいるものの、どうも気が進まない。しかし今回に限っては、もうこれを読むしかなかったのだ。先月の友人の死。その後には、どうしても「ノルウェイの森」しかないような気がした。
この小説では、自殺者が4人も出てくる。結局のところ、本を読んだって、心に大きな闇を抱える人の気持ちは想像しかできないし、ましてや自殺にいたる人の気持ちを読み取ることは出来なかった。人間誰しも、多かれ少なかれ、心の闇を持っている。ただ、ケーススタディとして、こんな人もいる、あんなタイプもいると、見識が少し深まった気がする。そして、私が最近知った感情を、村上春樹は20年前から知っていたということだ。
しかし、「死」によって、「生」が非常に際立っていたと思われる。主人公ワタナベ君をとりまく二人の女の子が実に対照的で、生と死、動と静を象徴しているように感じた。たった二十歳で自ら命を絶った、彼女の直子。大学の同級生で、のちに彼女となる、生命力あふれる緑。
再読して、生き生きとした緑に釘付けになった。最初に読んだときには、緑がこんなにも魅力的な女の子だなんて、気付かなかった。天真爛漫で、ユーモアがあって、溌剌としていて、素直で、ストレートで、血の通った生身の女の子なのである。とてもまぶしい。私が二十歳の頃は、どんな女の子だっただろうかと回想し、緑のような女の子でありたかったな、と思うのだ。主人公ワタナベ君以上に、緑の印象が強い。
「ノルウェイの森」は、最終的に元気が出る本だと思う。それゆえ、この本が好きなんだろう。
今年の夏、何年にもわたる交渉の末、「ノルウェイの森」の映画化が決定したそうだ。まだ先ではあるが、公開の際には、きっと劇場に足を運ぶであろう。演出もさることながら、キャスティングが大変気になる。