校歌。
在校していた学校の校歌も、子供が通っていた学校の校歌も
ただ、行事がある際に歌ったり、聴いていたり…。
覚えている校歌って…小学校の校歌くらい。
若草におう 丘の上~
学びの園に 光みち~~~♪
というより、何番目の歌詞だったかは忘れたけど…
この歌詞が好きで一番覚えている。
黒潮めぐる みんなみの~
るりのうなばら 見渡せば~
希望のひとみかがやきて~
神森校に さかえあれ~ ♪
小学生時代は自分で言うのもなんだけど、
素直で6年間事あるごとにまじめに歌ったからかもね~(笑)
中学校…高校…はて?メロディーさえ出てこない…
まあ単なるボケか…(^_^;)
ましてや誰が作詞、作曲したのかなんて気にも留めるなんてない…。
今回、ひょんなことから、佐敷中学校の校歌を作曲した
金井喜久子氏のことを知ることになった。
一言で言えば…「すご~い人」(^^♪
日本女性作曲家として初めて交響曲を作曲した方らしい…。
しかも、沖縄県宮古島出身なんだって!!
すっご~い!!(^^)
昔…喜久子氏が一高女時代、沖縄民謡は「下品な歌」とされ、
沖縄県民以外の人には聞かせるなって注意されたらしい
…なんでやねん(^_^;)
だね~。
私の小中時代はそんな感じだったかも…。
「沖縄方言(うちな~ぐち・しまくとぅば)は使うな!
標準語を話すように!」と、
学校では標準語励行運動が盛んだったからね。
そのツケが回ってきて、
今では方言を話せない、聞けないって言う若者が数多く
いやそれどころか…中年の方も多いって…。
だって方言禁止令真っ只中で育ったもんね…私もその一人。
ん?私は中年?…初老か…^_^;
学校で禁止されたって家で使っていればよかったんだろけど…
うち、そんな環境ではなかったしな~。家の中もほぼほぼ標準語!
たまに母が知人と話す、宮古方言がまるで外国語のよう…
意味不明…で聞いていた。
今ではうちなぁ~ぐち、しまくとくぅばが衰退の危機。
これはヤバい!
どうにかしなければ~と、しまくとぅばを奨励する目的で
毎年、9月18日を「しまくとぅば~の日」として制定した。
そう…。
小中学校の国語や道徳の時間にはしまくとぅばを学ぶしね。
ほんとに、なんで禁止令なんかあったんだろうね…。
伝統文化は大事に継承していかないと!
私は…しゃべれないけど…す、すみません…(^_^;)
で、私は何を書こうと…(^_^.)
そっか…金井喜久子氏…。
日本女性作曲家として初の交響曲を作曲した女性。
「交響曲第一番ハ短調」
これは、すでに書いたか(笑)
他には、五線譜がなかった沖縄民謡を
なんと98曲も五線譜にのせた。
※戦前は、沖縄民謡は下品な歌と言われ、県外、海外で歌うのは
タブーとされていたらしい。
喜久子氏も女学校時代に「浜千鳥」をピアノで弾いていたら
女の先生に「こんな下品な沖縄の民謡を品あるピアノで
弾いてはいけません]と、 注意されたらしい…なんでよ…(^_^;)
国際民族音楽会議に日本音楽家の代表として
ブラジルサンパウロ市へ。
※この頃に佐敷中学校の校歌を作曲している。
交響曲スタイルのダイナミックな曲となっている。
アメリカ映画「八月十五夜の茶屋」の音楽を担当。
宝塚歌劇団のオペラ曲を作曲。
「琉球の民謡」で毎日出版文化賞受賞。
「じんじん」で日本レコード大賞童謡部門で大賞を受賞。
晩年はひめゆり平和記念資料館建設に尽力。
こんなすごい人が佐敷中校歌の作曲をした!って!
ほぉ~(*^_^*)
校長先生は、
毎年年度初めにの校長講話でこう生徒に校歌について話、
こう締めくくるよう。
「佐敷中学校の校歌に誇りを持ち、作曲の金井氏、
作詞の嶺井氏の思いを想像しながら、心を込めて歌おう!」と。
金井氏も嶺井氏もすごいけど、校長先生もまたすごい!
佐敷中の校歌のこともず~と語り継がれていくといいね。
ただ…
金井氏が佐敷中の校歌の作曲することになった経緯はまだ不明。
昭和28年頃である。
嶺井氏は、昭和25年に作詞。
昭和28年ごろ、嶺井氏は佐敷村の教育委員。
金井氏はペリー来航百年祭に招かれ来沖していた。
昭和31年3月12日校歌発表会となる。
う~ん…来沖があやしい…。あやしいってことはないけど(笑)
で、校長先生が貸してくれたこの本。
ニライの歌。
喜久子氏が自伝として、1978年5月~8月にかけて
琉球新報文化面で掲載されたものを発刊したものらしい。
宮古島、波の上、三重城、糸満、ひめゆり…奄美大島と
私とも縁のある場所があっちこっちに登場する。
この建物、場所って今はどうなっているんだろう?
そう思いながら読むといっそうワクワク…実におもしろい!
これまた、久しぶりに本でハマったのだ!(^^)
今度あらためて、登場した場所に足を運ぶことにしよう!
のんびり自転車で回るのが一番いいかもね!(^^)

