今朝、母方の祖父が亡くなりました。

享年80歳でした。





私がまだ大阪にいた小さい頃、外科のお医者さんだった祖父は、お仕事で家にいなかった父の代わりに、毎日、お風呂に入れてくれていました。



私にとっては、祖父はお父さんのような存在でした。

祖父も、「真理恵は娘や。」と言ってくれていました。



そして、私の中の「男の中の男」は祖父ただ一人でした。






心筋梗塞、肺ガン、白血病、心肺停止…何度も何度も死にかけては、生き返ってくれた不死身のおじいちゃん。

剣道、柔道、空手など、武道ほとんど段持ち。

スキーもスケートも、野球もしたおじいちゃん。

この間まで、漢検1級をとるんだ!と、生き生き、いつまでも、どんなことでも勉強していたおじいちゃん。

本や、CDもいっぱいです。




「孫たちに生き様を見せにゃならん。」と、

15年間も、本当に、よく頑張ったと思います。

でも、そんなに沢山の病気を患いながらも、去年の夏まで、診察をしていました。




一本気の通った、誰よりも男気のある、それでいて、自分のことよりも患者さんのこと、私たちのことを第一に考えてくれる、そんな、心の優しい、誇り高きおじいちゃんでした。


ずっと院長として、頑張っていました。



ただただ、一生懸命頑張ってきたのに、それを良く思わない人たちに足を引っ張られたり、許せないことも色々ありました。








私が迷ったとき、落ち込んだ時は、誰よりも私の味方で居てくれて、進むべき、目指すべき道を指し示してくれました。

「自信を持ったらええねん。」

「何も考えずに頑張ったらええねん。」

「大人やねんから、うまくやりなさい。」


おじいちゃん…。






半年ほど、入院していましたが、心肺停止から蘇生して、そろそろリハビリをして喋れるようになるかな、と言うところでした。。。



元気になったら、東京に来ようね、とも話していたのに。

私が結婚するのは、まだまだ先かもしれないけれど、弟の受験まで待ってくれたら良かったのに…。



何度も何度も、家族で、一人ででも大阪におじいちゃんの顔を見に行ったけれど、亡くなるとき、病院で、一人でだったことを思うと…。



でも、自分の力でナースコールを押せたと。








お世話になった病院の先生方皆様方に、心からの御礼を言いたいです。

もうどこの病院でも見放された祖父を診て下さり、本当に、ありがとうございました。








おじいちゃんに、もう一度私の歌を、舞台を、観に来てほしかった…。






朝、名古屋の準備を超特急でして、大阪に帰って来ました。

今は、おじいちゃんと一緒にいます。






『恋文』の舞台があり、お通夜も告別式も行けません。

おじいちゃん、ごめんね。


でも、最後に、安らかな、何も苦しんだ後のない、おじちゃんの顔を見られて、良かったです。




おじいちゃん、今まで、本当に本当に、ありがとうございました。





書いていて涙が止まりません。。。。。

お別れしたくないよ。

おじいちゃん。。。




もう、心臓が限界だった、次に不整脈が起きたらいつ死んでも、とは言われていて、一度心臓が止まってしまった時には、覚悟ができていたものの。。。





顔を見ていると、ただ眠っているだけのように思えます。

時々、動いた気さえします。







家に、半年振りに帰れて、良かったね。




横になっていたら、何だか視線を感じて、首元にふわっとおじいちゃんが来てくれた感覚がありました。

おじいちゃん、おじいちゃん。。。






おじいちゃん大好き。



悔いのないよう、思ったように、一生懸命努力して、楽しんで、これから生きるから、

おじいちゃん、私たちのこと、天国から、ずっと見守っていて下さい。






私の、大好きなおじいちゃんへ。




2011年5月30日

               真理恵









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