きょう、からっぽの帝国という演劇をみてきました。
表現者の生の躍動にふれるのは嬉しい。楽しい。きびきびした警察役に、自分を30歳くらい年上にしちゃってる先生役に、どきどきした。
テーマは、主義の違いを「暴力で戦って解決するか」 「何もしないで我慢し、ものの見方を変えて受け入れるか」
私は、完全にポジティブ人間なので、暗い状況もやなことも、ものの見方かえて幸せにおもい、感謝するようにはおもっている。ただ、それには経験が甘すぎる、温室の中で育てられたトマトだよ、ぼくは。
戦争、逮捕、言論統制の中でも我慢し続けた経験がない僕 とくに自分の大切な人が奪われていたら、黙っていないだろうな。想像したけれど、なまみの心臓しかない自分じゃまだ向き合えない。
(支配者たちに、暴力するか、なにもしないか、の二元論以外の選択肢も伝えたかったのだろうが、脚本家さんは答え見つけてないような気がします。今度きいてみる)
同じ自然をみても、同じ実験結果をみても、何を重要視するかは科学者によってちがいます。地球が動くなんて昔おもってなかった。
ものの認識をかえる、 科学哲学の授業をうけた。
1か月前のメールをみた。美術館(シュールレアリスム)をみにいったときのもの。
> > And in May I saw this
> > http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/ernst/index.html
> >
> > I wondered what "boundary" is. Like, what is me and what is others.
> What
> > is inside and what is outside.
> >
> > And it could go deep into the question; what is the canvas of this
> > world, what is the canvas of what we see, recognize, and believe to
> > exist?
世界のキャンバスってなんなの?僕らの脳、ていうのが今は最有力の答え。だけど、もっと真っ白な答えないかな。
このパソコン画面が占める空間って、なんなの?空間って、みえる?
ものの見方。 ってなんだろう。
そして、それを変える手伝いができたら。
そんなコント、そんな文学研究、そんな表現者になりたい