表現したいことがある OUT
みて触れて話して内に入れたいものがある IN
共有したいものがある 中間=芸術
共有したい、と表現したいは違う。表現は、限りなく自分本位で、自分から滝のように流れる水を発散すること。エネルギー。ふるえ。うぅぅぅぅうううう!という衝動
共有は、受け手のことを考える。分りやすいように、思考が追いつくように。自分をコントロールしてお客さんの目線にあわせて。
今日、コント作りたい!っていう後輩にコントの作り方を教えていた。定石はないけれど、こんなのりだ!っていうのをみせた。こういえばいい、こうして、とは言わない。のりだけ伝えた。
後輩はよく反応した。お前の表現したいものはなんだ?それを表現して、コントに作り上げてしまった。くぅぅう。うらやましい。
そうしたら、なんだか自分のうちがわがふるえてきた。表現したい!表現したい!っていう意思が自然にわき出た。
その瞬間は、「表現したい」なんて冷静なことおもっていない。あ、これやりたいわ、という言葉にならないレベルでの直覚と反射神経で、気付いたら身体が動いている。気付いたらアイディアを試している。
私はいすとたたかった。
いす
いすってなんでいすなんだよ。なんでこれが座るものなんだよ。4本の足が地面について、座って下さいってちょこんと置かれているの?それは人間の常識だよ。そして非常識だよ。いすみたらそう思うでしょう?なんて、そんな信頼感、当然性、壊してやるよ。
いすは土下座する。
いすを前に倒す。背もたれの上の先を地面につけるように、前に倒す。そうすると、背もたれの面と、座る部分の面の二面で山ができるだろう。実際に試してごらんよ。いすが土下座している。4本の足を、馬が後ろ足でけるような角度であげて。せもたれは背中、座る部分はおしりにみえる。背もたれの上部が頭で、かしずいている。
土下座の相手は、もう一つのいすだ。ぽいとそっぽを向く角度に、そのもう一つのいすを配置する。常識的ないすの置き方でいい。土下座いすに目をあわせてくれない、怒っているのか、かたくなに顔をそむけるいす。
いすがいすに謝る光景。
当たり前だったいすと机の快適なラウンジを、こわした。ここは人間が使うラウンジじゃない。いすといすが生きている場所だ。
論理的にいま解説すればこうなるだろう。
そんなこと、その時は思っていない。ただ湧き出るだけだ。自分の直覚だけがいきいきと動いている。批評や感想は気にしない。なくてもいい。その作っている過程を見て、一体化してほしい。
座っているいすをいま、倒してみてくれ。