母は強し ~実家の父が家出した話~① | 開業医妻らしからぬ地味妻の日常 ~医学部受験はじめました~

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腰の低い開業医夫の裏方担当な地味妻。医学部志望の高2男子+理系中3女子の母。医学部受験に向けた備忘録と日々のあれやこれや。

先日、中2娘の学年末テストが返却されたのですが、英語の英作文で、「あなたが尊敬する人と、その理由を書きなさい。」という問題がありました。娘の答えは、

 

「The person I respect is my mother, because she is very tough and kind-hearted.」

 

ふむふむ、toughが最初に来るのね。しかもvery(笑)。

 

胃腸は弱い地味妻ですが、子どもの前では「母は強し」「肝っ玉母さん」でありたいと常々思っております。娘にもそんな風に見えているとしたら良かった。

 

私がそう思うのは、間違いなく実家の母の影響です。母は、それこそ何があっても動じないタフでクールな人。そんな母のタフさが炸裂したのは、私が小学校低学年の頃のことでした。

 

なんとまぁ、当時、実家の父が家出しましてねポーン

普通に仕事に出かけて行って、そのまま1か月くらい帰ってこなかったのですゲッソリ

 

普段の父は、寡黙で真面目が服を着て歩いているような人でした。仕事も忙しく、毎朝6時前に家を出て23時頃に帰ってくるような毎日。それでも休日には私と姉をプラネタリウムや本屋さんなどに連れて行ってくれて、たまの外食で一緒にランチを食べるのがすごく楽しみで。

 

そんな父ですが、若い頃から実家の不幸が続いたり、私が母のお腹にいる頃のバイク事故で右腕がほぼ使えなくなってしまったりと相当な苦労人でもありまして。それでも当時としては珍しくPCやプログラミングの知識に長けていたこともあって、片腕で家族を養ってくれていました。

 

でも今になって思えば、家出した当時は職場で大変なことも多かったようだし、真面目な父は一人で抱えて思い悩んで、心身共に疲れ果てて真っ暗闇から出られない状態だったのかなぁ・・・なんて。

 

そんな父が家出した当時の私はまだ7~8歳。父の失踪に対し、驚くべきなのか悲しむべきなのかもよく分からず、とりあえず自分は普通に学校に行くしかありませんでした。当時の母がいつもと変わらない様子でいてくれたことも、自分が普通でいられた理由のひとつかもしれません。

 

そして、父が行方不明になって3日目くらいのこと。これまで何があっても動じなかった母が、ついに・・・。