久しぶりに、寺山修司さんのことを想い出した。
「田園に死す」という映画が好きだ。
次々と画面に現れる画がぴたっと自分の期待する画なんだ。
そこには、明治の文豪の散文や詩を読んだ時に感じる湿り気と影がある。
人為的に急激に変えられた社会制度と、長い間にいつの間にか出来上がった慣習との狭間で、当時の日本人は随分苦労したんだろうなあ。
買ったまま読んでなかった橋本治氏の「失われた時を求めて 言文一致体の誕生」「失われた時を求めて 自然主義と呼ばれたもの達」「失われた近代を求めて 明治二十年代の作家達」を読み始めようかな。
橋本さんは、10代の頃、自分の言葉をほしいと思って、江戸の言葉の世界に入って行ったそうだ。
私は、10代の頃、そんなことを思い付く知恵が無かった。
でも、今、もし、日本に明治維新が無くて、江戸から長い時間を掛けて、外部の影響を緩やかに受けながら変化して現代があるとしたら、私は、どんな言葉を遣っているだろう。
時々、そんなことを考える。
そういう自然な流れの中で生まれ、もしかしたら今自分が遣っていただろう言葉を、想像してみる。
私も、自分の言葉を探す旅に出てみようか。
養老先生の公式動画
「日本古来の美観『侘び寂び』~理屈の世界に戻ろう~」
を聞きながら