BOOK-OFFでMASTERキートンを18冊中16冊まで100円で揃えました。
そんな私はBOOK-OFF中毒ですが、PICASOのメンバーってBOOK-OFFを利用する人はどれくらい居るのだろう?
てかBOOK-OFF好きですか? 嫌いですか?
by 殴られた時の叫びがいつも「ぐは!」なのが気になる人
BOOK-OFFでMASTERキートンを18冊中16冊まで100円で揃えました。
そんな私はBOOK-OFF中毒ですが、PICASOのメンバーってBOOK-OFFを利用する人はどれくらい居るのだろう?
てかBOOK-OFF好きですか? 嫌いですか?
by 殴られた時の叫びがいつも「ぐは!」なのが気になる人
昨日上級生で会議があったんですが、その中で特に頭の中に残ったのがこのことでした。
つまり、PICASOは出版サークルで、だからメンバーは本が作りたい人が多くて、本にしたいものを持っているとする。
そこで、その本にしたいものを本にするためにPICASOが出来ることは何なのか?
もちろんサークルになるほど人数が多いことで初めて書ける本がある。
いわゆる、キャラ言、国語本などに代表されるように、一人だと大変だけどたくさんの人数があつまることで『ネタを集めることが出来る』、というメリット。
一見これは、単純に労働量を分散させることが出来るメリット、とも見えてしまうけど、両者は違うもので、この違いがすごく重要じゃないかと思った。
国語本、キャラ言で人数が多かったことによるメリットは、労働力を分散させるというよりも、大人数でわいわいやりながらおのおのが方向性、というか書くことを考えることが出来るというメリットなんじゃないか。
なんだか良く分からない文章だけど、つまり、みんなで書いてるけど、それは労働力の分散のためじゃなくて各自が切磋琢磨するためなんじゃないか。
みんなで書いてるけど、その本に対するモチベーション、ベクトルは個人個人が持っていて、そのベクトルを、大人数が集まることによって上手くいい本の方向に向けていくというか。単純労働の足し算じゃなくて、各自のベクトルの和というか。
どんどんわけが分からなくなっているけれど、ともかくPICASOでいい企画になるのは、そういう企画に対する個人のベクトルを多くの人が持てる(≒多くの人が書いてみたい、あるいは読んでみたいと思える)ような企画なんじゃないかと思う。
蛇足になりそうだけど付け足し。
個人で書いてる企画はPICASOではダメって事じゃなくて、実質書くのは一人でも、PICASOメンバーが読みたいと思えばPICASOからのサポートを得られると思う。書けないけどこうして欲しいと口出しをしたくなるような企画みたいなものなら。
PICASOは各自の持っているベクトルを上手く本の方向に誘導してくれるようなサークルであって欲しい。
そして多分、そういう意味でのPICASOの協力を得るには、企画もそういう誘導をしやすい(皆が口出ししたくなる)ようなものである必要があると思う。
あれ、堂々巡り?
Written by しゅーる。