撮影=荒井俊哉

 

だいぶ時間がたってしまいましたが 12/15 ソワレ鑑賞。

自分ではチケット全滅だったのに、親切なツイ友さんに誘っていただけて、幸運にも行ってくることができました。ありがとう~笑顔

 

日生劇場は初めて来たと思っていましたが、客席に座ったらなんだか記憶がよみがえってきました。私この場所に来たことあるような?

 

たしか幼稚園の頃の鑑賞会だったと思います。「おおきなかぶ」の劇とマジックショーを観ました、たぶん。別々の日だったかもしれない。

白い大理石貼りの壁とあこや貝がきらめく天井の優美な曲線と、バルコニーみたいにせり出した2階席を印象的に覚えていました。

 

別記事(リンク参照で書きましたが私にとって「道」は幼少期の印象が濃い映画なので、不思議に過去が戻ったような心持ちでした。

 

参考URL:建築物としての日生劇場

村野藤吾氏設計のとても美しい建物です

 

そんな中で始まった劇は幻想的で、童話の世界のように残酷で美しかった。

 

注:いろんな解釈ができる舞台だと思います。

1回で全部完璧には観れていないし、パンフレットに書いてあることとも微妙に違ってますし私にはこう見えた、こう思った、というだけの感想ですのでそこをお含みおきの上お読みください。物語の内容に触れた部分があります。だいぶ記憶も怪しくて時系列が合っていないかもしれません。

舞台は円く広く作られていて客席がオンステージ席も含めぐるっと囲む形です。ちょうどサーカス小屋のテントに座る観客みたい。

同じように円を描くように置かれたベンチには等間隔で並べられた帽子。

 

そこへ現れる愉快なクラウンと、対照的に青い光の中に浮かぶ不気味な男。

 

この男を演じる佐藤流司さん、立っているだけで浮世離れしていて美しくて。ラルクアンシェルのHydeっぽいなと思いました照れ

撮影=河野桃子

 

彼がタロットで示唆する隠者、愚者、力。

なんだか暗示的。

 

モリールはこのお芝居独自の役だそうですが、彼がいることによってこの物語が「外から語られる」形になり、より一層幻想的に、時空がそこだけ切り取られた空間のように感じました。

 

音楽が鳴り、サーカスの団員たちが現れ、そこへ大声で口上を述べながら現れる旅芸人のザンパノ。

え、剛くん?ってみんな思いましたよね。

声が粗野で野太くて、いつもの声じゃない。

 

余談ですが、声ってそのひとを認識する要素としてけっこう大きいんだなと。SMAPの声ってどこで歌われていてもすぐわかるし。顔が見えなくても声でわかるくらい、一人一人のメンバーの声も長年私たちの耳になじんでいます。それが全然違ったので、それだけで舞台の上では別人に見えました。

 

身体もたくましい。

正直、ザンパノ役に草彅剛って意外でした。

私の中では六平直政さん的な年上の大男のイメージなのでキョロキョロ

画像:ホリプロ掲載プロフィール

 

そして特殊メイクで造形をつくるわけでなく(ボディメイクはしているようですが)ただその肉体だけでザンパノを表現している。

はっきり言ってマッチョな草なぎ剛だとカッコイイのでザンパノの嫌われ者の感じは出し切れてないかも^ ^;

あれじゃ見た目だけで惚れちゃうよ!

 

映画を観た遠い記憶ではものすごく嫌悪感を抱く人物だったんですよね~。

でもツヨパノはそれよりもっと孤独と倦怠感を漂わせた、哀しい人に見えました。

 

ジェルソミーナは逆に映画だと白痴っぽい(適切な表現が見当たらなくてすみません)純粋さを持った女の子のイメージだったんですが、この舞台版ではきちんと自我があり、ただ流されて生きているわけではないなって。

 

蒔田彩珠さん、私は初めて拝見しましたが、イメージぴったりでかわいい子!トロンボーンは自分で吹いてるのかな?音出すの難しいんじゃ?綱渡りもこなしててすごいなー。

撮影=河野桃子

 

ザンパノは確かにひどい奴だけど、なんとなくそばを離れ難いというのもわかります(なんたってカッコイイし!←違う)

親に売られて何もできなかったジェルソミーナに、曲がりなりにも日々の仕事を与え、存在価値を与えた人だから。

 

酒と女にはだらしないけど、芸人としては一生懸命で、ジェルソミーナと組んでいいショーにしようとがんばってるし。不器用で無知なだけで、映画と違って本質的に嫌な人ではない感じでした。(うろ覚えの映画も見直したら違うのかもしれないですね)

 

体は大きいのに、大声で叫んで威嚇するのに、心が冷め切っているというのか......ずっとわめいているわりにどこか静かな印象が残ります。ジェルソミーナがその表面的な威嚇に怯えるものの、本質的には許して母のように包んでしまうのもわかる、かな。

 

短いセンテンスのセリフの応酬で、サーカスのテントの中で劇中劇を見ているような感覚で物語は進みます。説明はすべてコロスと呼ばれる人たち(サーカスの団員でもある)が歌の中で聞かせてくれます。

この手法は上手いなと思いました。シーン変わりの歌が狂言回しにもなっていて、場面転換もその場で見せていくスタイル。

 

そして彼らの造形がすばらしい。モノトーンでシンプルないでたちのザンパノとジェルソミーナとは対照的に、コロスのカラフルな衣装とヘアメイクが外国の絵本から飛び出てきたみたいで、かわいくてかわいくて。衣装は先日 紀伊国屋演劇賞・個人賞も受賞された前田文子さん。

 

劇中の音楽はニーノ・ロータではないんですね。

(音楽を手がけたのはパンフによると江草啓太さん)

道といえばその名が挙がるくらい音楽の役割が大きい映画だと思うので、そこは意外でしたが、音楽劇と銘打っているだけあって生演奏は楽しくて幻想的で、風の音や効果音すら人が出しているのが驚きでした。カモメの鳴き声、夜のフクロウ?と朝の小鳥の声も!

バンド演奏の方たちも衣装に身を包んで、サーカスの一員です。

 

中盤で登場するのが海宝直人さん演じるイル・マット。

キーマンなのに、映画ではこの役のこと全然覚えていなかった。

ザンパノと対立する役柄で、もっとふわふわした人かと思っていたけど、挑発してきたりしてけっこうイヤな奴?!

ザンパノが怒るの無理ないよ!(とついツヨパノの肩を持ってしまうキョロキョロ

でも歌うまいし口は立つしこっちはこっちでモテそうな男の人です^ ^

 

地上で筋肉ムキムキの荒々しい芸を披露するザンパノ

空中で羽をつけて軽やかに綱をわたるイル・マット

わかりやすく対照的な2人。

 

ザンパノはひたすら自分のことだけ考えているように見えるのですが、イル・マットはザンパノが気になって仕方がないみたい。ザンパノが人気芸人だから嫉妬した?ジェルソミーナへの興味だったのかな?

 

そしてジェルソミーナにも芸を教えてあげるとちょっかいをかけて、彼女は彼女でもっと役に立ちたい、芸を身に着けたいという希望を持ってしまったために悲劇は起こります。

 

大乱闘(っぽい)シーンは2階席からはまったく見えないので声を聞いて想像するのみでしたが......照れ

 

海辺で泳ぐ場面

水色の布をファサーッと広げて海、って歌舞伎の演出みたいですね。

このとき、ザンパノがバッとシャツを脱いだからガン見w 

胸筋!∠(*゚∀゚)/胸筋!∠(*゚∀゚)/(←その時の脳内)

 

.......ちょっと物語から集中がそれました。

 

このあたり、留置場から戻ってきたザンパノとジェルソミーナの間には、はかない絆が生まれたように思えました。

それなのにそれなのに。直後にまたもや悲劇が......つらい(T T) ザンパノともそうだし、イル・マットとジェルソミーナの関係がスパーンと断ち切られてしまったのも。

 

ジェルソミーナのものすごい拒絶反応に、それまではぐらかして答えなかった身の上をいきなり饒舌に語り出すザンパノ。

自分しか見えていなかったのに、初めて他者に理解してもらおうと思ったのかな。

そこから改心してハッピーエンドに行かないのがこの物語の残酷で哀しいところなんだけど。

 

ジェルソミーナはイル・マットが大怪我の上に死んでしまったことに打ちのめされているけど、果たして彼女はザンパノ自身を拒絶したのでしょうか?なんとなく、彼女は罪を憎んで人を憎まず、というタイプだと思うので......他の人がどう思ったか聞いてみたい。

 

耐えきれずにジェルソミーナを捨ててしまうザンパノだけど、あとちょっと我慢していたならば、また別の幸せもあった気がします。

 

ザンパノがもう少しわかりやすくやさしかったら。

イル・マットが2人に構い過ぎなかったら。

ジェルソミーナがもっと年上で、弱い立場じゃなかったら。

 

人生にはいろんな歯車によって動き出すものがあって、たらればは無意味ですが、そんなことを思いました。

 

歯車が逆に回る瞬間は絶対あったはずなのに。

孤独に生きてきた男が優しくて純粋な少女にほだされて......っていう「レオン」みたいないい話は世の中いっぱいあるのに!なんでジャン・レノになれなかったのザンパノ~(泣)

 

とはいえ、野垂れ死ぬくらいでないとジェルソミーナが浮かばれないあせる

思い出の海辺でジェルソミーナの死を知って、泣いて後悔したって遅いんだよ~えーん

 

この後ザンパノはどうやって生きていくんだろうなあ。

きっとすぐには変われないでしょう。

肉体の衰えに怯えつつ行きずりの女を抱いて、結局はその日暮らしの旅生活......なんだろうなあ。最終的にはアル中で死にそう^ ^;

まったく救いがないけど。

 

だからお芝居が終わって拍手が起きたとき、夢からさめたみたいにホッとしました。ザンパノが消えて草彅君その人が現れて、あーよかった!架空のお芝居だった!ってそこで初めて安心して涙が出てしまいました。私は。

 

カーテンコールの剛くんは頼もしい座長でしたね。みんなで大拍手ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち

 

まさに禍福はあざなえる縄のごとし。 

たった100分の凝縮された濃密な時間に、そんな人生の真理が詰まっているような、不思議で哀しい一編の物語でありました。

 

なぜ今この物語なのか?

なぜ草彅剛だったのか?

演出のデイビッド・ルヴォーさんに聞いてみたい気がします。

 

クラウンが最後までコミカルでかわいい。癒し。

最後に彼が残していったオルゴール。

美しくて哀しいメロディーがずっと流れていて......余韻に浸りながら劇場を後にしたのでした。

 

 

※一部の写真は下記記事より引用させていただきました

音楽劇『道』草なぎ剛とデヴィッド・ルヴォーの新作を作るという冒険

 

【参考記事】自分の感想に一番近かったです↓

残酷で美しい舞台『道』が草なぎ剛主演で開幕