私の母は学校の先生でした。

母の勤めている学校は バスで一時間近くかかる遠い場所にあるのに、

夏休みや冬休みになると 遠くから教え子たちが バスでやってきて、

とてもにぎやかな家でした。


もうすぐ夏休みになろうとしていたとき、母は自分の胸の外側に なんだかコリコリしたものを見つけた。

鏡で見ると やはりしこりのような物が有るのがわかりました。

癌かな?・・・という思いが心をよぎったものの・・・母は病院へ行こうとしませんでした。


「病院へ行ったら 子供たちを3月まで見てやれない。

この子たちを3月までみて、次の学年にあがって別の先生にバトンタッチしてから病院へ行こう。」


それが間違いの元だったのです。

母は家族にも誰にも 胸のしこりのことを話しませんでした。

そのまま授業を続け 3月まで 勤めあげました。


そしてある日 家族に話をしました。

「癌かもしれないから 病院へ行ってくる」

はとが豆鉄砲をくらったような私たち。

「今 なんて言った? 癌?」

「うん 胸にしこりがある」

「いつ 気が付いたの?」

「夏ちょっと前」

「なんで 今までほったらかしにしていたの?」

「今うけもちの子供たちの手がはなれてから 病院へ行こうと思って・・・」


急いで病院へいったものの しこりは既にステージ3b。

医師から もう半年早く来ていたらよかったのにと言われました。


リンパ転移もあり、左胸全摘出とリンパ摘出の手術となった。

手術の後は 無残にも 肋骨のギリギリまで肉をそぎ落としたため、

ざっくり傷があるだけでなく、肋骨に皮が張り付いているような状態でした。


新薬のテストがあるので その枠に入れますと病院から言われ、

母はそのテスト薬が運よく効き 無事退院しました。


10年再発しなければ 大丈夫とお医者さんから言われていましたが

もうすぐ10年目になろうとしたとき、骨髄に転移。

入院したものの 抗がん剤の点滴はどんどん強くなり、

食べ物がのどをとおらなくなる。

強烈な背中の痛みに 神経ブロックするが 容態は悪化。

血小板を輸血するが 歯茎などからの出血が止まらず、

ついに還らぬ人となりました。

私が33の秋でした。


あの時 お医者さんが後半年早く病院へ来ていたらよかったのにと言った言葉が蘇り、

涙がとまりませんでした。

生徒たちを大切にしたけど 自分が死んでしまったらおしまいなのに。

若ければ若いほど 新陳代謝が良い分 癌も体の中で増幅してしまう。

癌かなと思ったら 少しでも早く病院へ行かないと!


このブログを読んで下さっている方で もし胸にしこりが見つかったら、

一刻も早く病院へ行ってください。

しこりに触って動かしたとき 皮膚と一緒に動かず、

下の肉に根っこが生えたように動かないしこりは癌です。

一分でも早くお医者さんに処置してもらってください。