うちのダンナは冒険家〜招福ハレルヤ ウタ唄いPiapiのブログ〜 -36ページ目

うちのダンナは冒険家〜招福ハレルヤ ウタ唄いPiapiのブログ〜

うちのダンナは冒険家 そして私はウタ唄い
招福ハレルヤ というバンドをしています。
合言葉は Love× Laugh→Peace らぶらふぴーす

バンドで音を作っていくという作業には

ある程度の協調性みたいなものは必要だけど、

どこまで譲歩してどこまで通すかという

さじ加減が いまだわからない。


好みの味にするために

スパイス入れることが余分だったり、

塩加減が足りなかったり、

甘みが多かったりと、

まだバチっと決まらないけど、

やっているうちに

決まっていくのかなぁ。


サジ加減つながりで

まぁ、たとえば料理でも

私はできるだけ素材の味がわかる

薄味が好きだけど

うちのダンナさんはは何にでも七味や

スパイスかける。

どんなものにもタバスコかける人もいるもんね。


作った私は「作った味で食べてよ」と

思うけれど、

本人が好きなようにできる

余地みたいなものがあれば

誰もが納得するわけだ。


もしかしたら、音楽にも芸術にも

そのあたりにヒントがあるのかも。


出来上がったものを

「これが完成品です」

と「決める点」みたいなところが

ポイントだな。点だけに(笑)


逆に、テーブルの横に置く

スパイスとか薬味みたいなものを

足してもらう作品があっても良いわけだ。



絵を描くという作業も

筆を置く地点というのかな

もう少し赤を足そうとか

緑足そうとか

あーだこーだ頭で考えるとわからなくなるけど

感覚で

「好き」というところでストップすると

満足いくものになる。

当たり前やね。

「好き」でとめてるんだから。


そう、そして、ここで頭に戻るけど

自分以外の違う感覚を持つ人と何かをするときに

どこまでどうするか?

かのクイーンやビートルズも

我の強いメンバー同士、大変だったと思う。

かといってアーティストさんは

ある程度の我の強さが個性になるのだし

我のない作品は心を動かさないのかもしれない。


こだわり というものまた

どこまでこだわればよいのかわかんなくなる。


そんなこんなを湯船に浸かって考えながらの

深夜のお風呂タイム。


明日からレコーディング再開。

妥協のない作品を作ろうと思っている。


4月19日は心斎橋SOMAにて

#招福ハレルヤ のレコ発ワンマンです。

ぜひ、遊びにきてね。


頑張ろう!!




某T社のフライパンを使っていたのだけどそろそろ替え時かなぁと思い、今度は原点に戻り鉄のフライパンにすることに。


色々探したのだけど、きのうニトリの鉄パン26cmを試したところとても良くて、

今日また30cmのも購入。

圧力鍋もニトリだけど、安いのに使える。


近くのアンジーさんが、無農薬で有機野菜を作っているから、毎週ぴんぽん地球スで販売しに来てもらうことに。

いいお野菜が手に入るようになるとテンションも上がるし、お料理が楽しくなるねー。


そう、それで、ニトリの鉄のフライパン、

重いけど、凄く良い。

使えば使うほど良くなる道具っていいなぁ。

歴史が刻まれる感じでね。


お弁当みたいに

少しの揚げ物はフライパンで揚げるけど

普段は、揚げ物には小さな土鍋を使っています。


ほんの少しだけ油入れて2回使ったらオイル交換。

油は酸化するので揚げ物油は

長く使いすぎないようにしています。


その揚げ物専用に使っている土鍋も

かれこれ7年くらい使っているかなぁ。


テラスの台所も

だんだんと使い勝手が良くなってきたというか

慣れたというか(笑)

まだまだ改善の余地はあるけど

気に入ってます。

天満橋にいた時は台所が狭かったから

今は広々と使えるしね。

夏は暑くてダメだけど

今は丁度良い感じ。


話は変わって

最近はお酢を色々試しています。

夏にしか飲まなかったけど

ホットで飲むと美味しいし、

ミルク入れたら分離するから

ヨーグルトドリンクみたいな感じで面白い。

身体にもよさげな感じだし

年がら年中飲むことに。


カマスゴの三杯酢あえとかも

母が好きだったので

カマスゴ見かけると買ってきて

軽く焼いたものを三杯酢であえて

頂きます。


あとはちょこっと余った野菜をピクルスみたいに

甘酢に漬けたり。

美味しいよね。



お豆さんは、作り置きして常備。

子供の頃から

うちでは必ず食卓に上がる一品でした。

買うと甘すぎたりするので

甜菜糖でふっくら優しい味に仕上げます。


納豆と豆腐は毎日食べるなぁ。

タンパク質は、植物性と動物性を一緒にとるのがよいらしく、その話をきいてからは、意識するようにしています。

ベジタリアン目指した時もあったけど

今の日本で徹底するのはなかなか大変だし

根気が必要。

息子が学校行くようになったのをきっかけに

やめました。

20年以上前のことだけど(笑)



調味料は、値段はっても

良いものを使うようにしています。

これまた良いお野菜には

調味料なんてほとんど使わなくて良いし。



毎日味わって食べることができるのは

本当に幸せなことです。


ありがたや。感謝。








幼稚園の頃

人が死ぬということが恐くて

毎日

パパとママが死にませんようにと

お祈りをしていた。

私にとって

両親の死は

最も恐ろしいことだった。

 

沢山の友達や肉親との別れを経験し

還って行くのを見送ってきた。

 

生きものは生まれた時から

死へのカウントダウンが始まる。

 

動物も植物も子孫を残すことが

生きる目的であり

それができなくなると

役割を終える。

それが「普通」のことなんだなぁ。

 

「私はしにましぇん。絶対にしにましぇん。」

流行りましたよね。

いやいや、

「死ぬから。絶対に死ぬから」

 

どれだけ愛し合っていようが

いつかは必ず別れは来るんです。

 

私は「死ぬ」ということは

「あちらの世界にめでたく生まれることだ」と感じています。

だから、誰かが亡くなっても

悲しむのではなく

「あちらに生まれておめでとう」

と思います。

まもなくジィも3月2日で1歳のお誕生日。

懐かしい話をしながら

ケーキでお祝いします。

みんなのバースデーパーティーと同じように。

 

生まれた限り

死ぬことは必ずやってくるんです。

でも、こっちで死んだらあっちに生まれて

あっちで死んだからこっちに生まれると思うと

なんだか楽しい気持ちになります。

時々、ドラと

「ジィちゃんもばぁちゃんも元気にしてるかなぁ」なんて話をします。

ごく普通にそう思うんですよ。

ただ次元が変わっただけだと思うのです。

そしてまた二人、愛犬ジョイやフリルも巡り合って、

こちらにいた時よりも楽しく幸せにやってるよねーと、

勝手に思っています。

そして時折
あちらの世界から
いろいろなサインを送ってきてくれます。
姿かたちがなくなって
肉体に触ることができないのは寂しいけれど
以前よりももっと
護られているように感じます。

魂はきっと同時にあちらにもこちらにも行けると思うので
あちらの世界からサポートしてくれているんだろうなあと思うと
心強くなります。

 


不思議なもので
思い出というものは
時間が経てばたつほど
美しくなっていきます。
私の中のいやだったことや悲しかったことは
時間とともにどんどん浄化されて
キラキラ輝いていきます。

今では両親には感謝の気持ちしかありません。

 

 

ありがたかったなあ。


Love× Laugh→Peace