ペッターの話 -2ページ目

ペッターの話

誰も見てないと思いながら書いてる

言語化が流行っている。

ドラマでも映画でも本でもゲームでも

ご飯でもファッションでも日々の生活でも

言語化できる人が持て囃される時代。


実際、うまく言えないモヤモヤを

第三者がスパッと表現してくれた時の

爽快感はなかなか気持ちが良い。

そうそう、そうなんだよ!という

ストンと腑に落ちたような感覚っていうか。

私も自分では考察ができないから

人の考察を読むのが好きだし

自分も、自分が感じたことを

的確に表現できたらと思うことがよくある。


でも、それって本当に良いことだろうか。

なんでも言語化するのは果たして良いのか。

そんなことが、最近読んだ本に書いてあって

なるほどと思った。


言語化できないモヤモヤに意味はないのか。

と聞かれたら、決してそんなことはない。

なんだかよくわからないけど引っかかる

という感覚は大事。

実際、私はそれが、自分に刺さったと判断する

基準にもなっている。

何か作品に触れたとき

簡単に現実世界に戻ってこられず

ずっと考えてしまう、あの感じ。

考えて考えた末に

「こういうことかも」

と言葉にするのは良いけれど

考えることなく誰かの言葉に触れて

「あぁ、そういうことか」

で済ませてしまうのは、あまりにもったいない。

その時点で自分の思考は止まってしまう。

誰かが時間をかけて、時には命を削って

生み出した作品に対して

そういう消化の仕方も良くないと思う。


そして、意味がないことだったり

意味が分かりにくいことが

無駄かと言われると、そうでもない。

けど、言語化を重視し過ぎてしまうと

こういったものは排除されがち。

わかりやすいもの、言語化しやすいものだけが

残ってしまうのは、やっぱり違う。


そのうえで、それでも私は

言語化できるようになりたいと思う。

自分が感じたことを言葉にするのは

コミュニケーションの一種であり

自己理解にも繋がると思うから。

私はこう感じて、こういうところが好きだ

と自分のために言葉にしたい。

バズるようなキャッチーな言葉でなくても

万人に共感される言葉でなくても良いので。

そのための練習は、続けていきたい。