3度目の四十九日 | ペッターの話

ペッターの話

延々と1人でブツブツやってる

7月の弟、12月の静岡の祖父に続いて

東京の祖父の四十九日も迎えた。

忌中といっても神社へ行かない程度で

ライブも飲み会も普通に行ったけれど

10月から続いたのがようやくあける。


日曜日に祖父の四十九日法要が行われた。

前々日には関東で積雪の予報が出た。

直前まで大雨の予報で

当日朝はしっかり大雨だった。

私以上の雨男なんじゃないかな、祖父は。


告別式の時は住職も入院しており

副住職がお経をあげたが

今回は住職があげてくださった。

随分痩せてしまって

体力も落ちたご様子だった。


従姉妹の双子の片割れは

免許合宿で不在だったため

参列した孫は私と双子のもう1人の2名。

弟の時は身内と弟の親友だけで

こじんまりとやったので

今回は人数の多さに驚いた。


法要が終わり納骨で外に出ると

雨は若干小雨になっていた。

母が線香の準備で離れてる間に

納骨、そしてお墓が閉められてしまった。

祖母と弟が見られるのは

この時だけなので母にもいて欲しかった。

「次は自分が入る時だしなぁ」

と母が残念そうに言っていた。

万が一、私が先に死んだら

もう一回見られるけどね。

流石に言わなかったけど。


このお寺は私が最後に祖父と会った場所。

秋の彼岸で、本堂に用意された

弟と祖母の塔婆を

祖父と一緒にお墓まで運んだ。

その前、弟の四十九日だったか

初七日だったか忘れたけど

本堂でお経をあげる直前に

祖父の数珠が切れて散らばった。

偶然だと分かってても

そのあと祖父が急逝したことを思うと

科学で証明できないことも

ちょっと頭をよぎる。


納骨が終わったあと、駅前にある

花の舞へ移動した。

祖父お気に入りの場所で

店員さんとも仲良くしており

弟の四十九日の時もここでやった。

祖父が亡くなったことを知って

仲が良かった店員さんは

随分ショックを受けていた。


ひとしきり酒が進んだタイミングで

伯母が一旦みんなを静かにさせて

「じゃあせっかくこれだけ集まってるので

自己紹介と、じいじとの思い出を

順番に話しましょう」

と提案をした。


祖父の昔からの友人は

「色んな場所へ旅行へ行ったが

大雨警報を出されるほどひどい天気だった」

と懐かしんだ。


同じく祖父の昔からの友人で

母たちが小学生の頃から

家に出入りしていたおじさんは

祖父母のおかげで結婚をした。

夫婦揃って

「(祖父と祖母は)実の両親のようだった」

と話した。


母の従姉妹は

「自分の母(祖母のお姉さん)や父は

遊んでくれない親だったので

代わりに(私の祖父)にたくさん

遊んでもらって

色んなところへ旅行へ連れてってもらった」

と話した。


その次が私の番だったので

「初孫の、ペッターです」

と自己紹介から始めた。

これ言えるの、私だけなので。

その後、弟と祖父と3人で

水谷豊のコンサートへ行った時の話をした。

色々考えてみたけれど

やっぱりこれが1番の思い出かも。


伯父は

「(祖父が)入院する直前に

一緒に飲みに行く機会があって良かった」

と話した。


もう1人の孫の従姉妹は

「思い出があり過ぎて

今でも信じられなくて寂しい」

と泣き出してしまったので

周りのおじさんおばさん達が

みんなもらい泣きした。


母のもう1人の従姉妹は

「昔はそれこそ水谷豊やジュリーと似ていて

すごくイケメンだった」と祖父を評した。

確かに若い頃の写真はハンサムだけど

似てるか……?と

首を傾げてしまった。


その次に話したオバさんは

私が幼稚園くらいの頃に

一緒にディズニーへ行ったりと

可愛がってもらった記憶はあるのだが

関係性は全く知らなかった。

どうやら、祖母の従姉妹だったらしい。

この人も

「(祖父母に)紹介してもらって

結婚をしたんだ」と話した。

そんなカップルが何組もいるらしい。


一昨年に亡くなった

祖父の2番目のお兄さんの奥さんは

10月に行われた、そのお兄さんの一周忌で

「元気な様子だった」と惜しんだ。


ここ数年、祖父と大変仲が良く

どこへ行くにも一緒だったオバさんは

祖父と最初に出会った時の話をした。

その人が働いていたデイサービスに

祖父が大正琴の慰問演奏に来た際に

感銘を受けて話しかけたのが

キッカケだったらしい。知らなかった。

この人だけは祖父のことを

「先生」と呼んでいた。


最後は、祖父の妹さんが

「兄貴とは顔を合わせるたびに

喧嘩ばっかりしていた」

と話したが、喧嘩するほど仲が良いとは

まさにこのことなのだなぁと思った。



お寺で四十九日法要が終わった後

ご住職も祖父との出会いと

思い出話をしてくれた。

なんでも、祖母のお母さんが亡くなった時

このお寺にお墓をたてることになって

それ以来の付き合いだそうだ。

法事のたびに熱心にお経を一緒に読んで

お盆になると家へ呼んでお経をあげてもらい

プライベートでも付き合いがあって

登山の計画があった(頓挫した)とか

演奏会に呼ばれて観に行ったこともある

と話していた。


そして最後に

「いつもニコニコと話されていて

本当に太陽のような人だった」

と話した。

祖母も同じように

面倒見が良く慕われる人だった。

祖母の戒名に「爽」という字を入れたのは

このご住職だ。

爽やかな人、という印象が強かったらしい。

戒名は夫婦で一文字揃えるらしく

祖父の戒名にも「爽」という字が入っている。


四十九日で集まった人の話を聞いていても

全員、思い浮かべる祖父の印象は

「太陽のような人」

だったんじゃないか、と思った。

本人は雨男だけど。


宗教の世界では

四十九日は亡くなった人があの世へ旅立つ

本当の別れの日と言われる。

書いてる間に日付が変わった。

祖母と弟と楽しくやっててくれ。