藤岡藤巻と弟 | ペッターの話

ペッターの話

誰も見てないと思いながら書いてる

藤岡藤巻の記録を遡っても分かる通り

藤岡藤巻は私だけでなく

弟のことも大層可愛がってくれた。


初めて藤巻さんに会った

2008年11月3日の早稲田学園祭。

この時に弟を連れて行ったので

ホントに最初っから知ってる。

弟はまだ中学2年だった。

この時、楽屋へ案内してくれたのが

静 炉巌さんだったので

静 炉巌さんもこの時から弟を知っている。


藤岡さんに初めて会った時も

弟を連れて行った。

2009年2月の渋谷DUOライブ。

弟の顔の小ささに驚く藤岡さんが

肩を並べて写真を撮った。

いいなぁ、と思いながら見ていた。


それからというもの、藤岡藤巻のライブへ

しょっちゅう弟を連れて行った。

もちろんチケット代は私が払った。

藤岡藤巻のライブへ行く時は必ず誘ったし

弟も何故か、殆ど着いてきた。

withoutも1回連れてったかな。

逆に弟を連れて行かない時は

藤岡藤巻や静 炉巌さんから

「あれ、今日弟君は?」

と聞かれたくらい、いるのが当たり前だった。


藤岡さんは一度、私と弟を

ご飯に連れてってくれたことがある。

ギャグマンガ日和の話をした。

その後、風吹かへ行って

私と弟にギターを教えてくれた。

マスターの金谷さんも弟に

スリーフィンガー奏法を教えてくれた。


藤巻さんとはそういう機会はなかったが

会うたびに「弟君、元気?」と

気にかけて下さっていた。


藤岡藤巻が活動休止したあとの

復活ライブも一緒に行った。

リハビリさながらのステージに、終演後

「どうだった?」

と聞いたら苦笑いで

「演奏が……」

と言っていた。


私が藤岡藤巻のYouTubeを

お手伝いさせて頂くようになってからは

何度か弟も呼んだ。

1番最初は2020年9月。

宇宙飛行士になってますか?の歌詞を変えて

冒頭の子供コーラスを

録音したいと言われたので

弟も連れて行った。

藤岡さんが最初のコードを鳴らして

川島さんがテンポを合図して

私と弟で歌ったものを

藤岡さんが編集で声を高くして

子供っぽくさせてくれた。

それが、今もライブで使われている。


この時、弟を連れて行った理由が

もう一つあった。

弟はビートルズなど

少し古い洋楽の知識が豊富なので

藤岡さんや羽生さんと

話が合うのではないか、と考えた。

案の定、音楽話で大いに盛り上がり

弟と一緒に何曲かセッションして

遊んで下さった。

これも、いいなぁと思いながら眺めた。


特に藤岡さんが弟のギターを買ってくれて

忘年会や他収録などに

弟を呼ぶように言ってくれた。

無茶振りに頑張って対応している

弟の様子がYouTubeでも観られる。


弟も藤岡藤巻のことが大好きだった。

それはファンとして、というよりも

可愛がってくれるおじさん達

という感覚だったとは思うが

最近でも藤岡藤巻のライブに誘うと

「久しぶりに行きたかったんだけど

仕事だからごめん」

と言っていた。

最後に会った時も

「月曜空いてる日にいつでも来て良いよ」

と伝えたら

「行きたいんだよなぁ」

と言っていた。

「こないだ赤坂泰彦さんを呼んだんだよ」

と自慢をしたら

「えっ!?赤坂泰彦!?

昔からずっとテレビで観てたよ!

赤坂さんには会ってみたい!」

と言うので

「多分また近々お呼びするから

決まったら教えてあげるよ」

と約束をしていた。


静 炉巌さんは昔からライブで

弟の面倒も見て下さった。

羽生さんは弟と音楽話を色々してくれた。

川島さんは忘年会の時

風吹かが開くまで20分ほど

2人で話したと弟から聞いたことがある。

後藤さんは同じギタリストとして

弟のギターを心底褒めてくれた。

GOROさんも忘年会の時に

弟と話してくれていた気がする。

太田さんも事あるごとに

「弟君、元気?」と気にかけてくれた。


藤岡藤巻、他周辺の方々には

弟が亡くなったその日に連絡をした。

中学生の頃から可愛がって下さっていること

そして私が最も信頼している大人でもあるので

詳細までしっかりお伝えした。


姉弟仲が良かったことを

よくご存知なので

私の心配をしてくれたが

藤岡藤巻も、静 炉巌さんも

みなさんが辛い思いをしていたと思う。

それでも普段通りの活動を

続けると選択してくれたことが

どれだけ嬉しかったか。